財津 一郎 (ざいつ いちろう、1934年 〈昭和 9年〉2月22日 - 2023年 〈令和 5年〉10月14日 )は、日本 の俳優 、コメディアン 、歌手 。
本名:財津 永栄(ざいつ ながひで)[ 注釈 1] 、旧芸名:財津 肇メ。熊本県 熊本市 出身[ 4] 。熊本県立済々黌高等学校 卒業[ 4] 。
生涯
生い立ち
財津家は、神武天皇 の時代から続くというほどの名家であった[ 3] 。父親は農林省 (現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいた、第二次世界大戦において、父が中国大陸へ日中戦争 に出征したため、1944年 に一家は故郷の熊本へ疎開 した。
1947年 に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡 黒川村 (現・阿蘇市 )へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学校から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校 )へ転校した。
1949年 に再び、熊本市へ戻って済々黌高校に復学し[ 5] 、高校生時代は水球 部で活動した[ 6] 。終戦後も、高校を卒業するまでを熊本で過ごした[ 7] 。
演技の道へ
1953年 、上京後に早大 文学部演劇学科受験に失敗。早大近くの印刷店などでアルバイト生活をしつつ[ 8] 、当時東京都 大田区 にあった榎本健一 映画演劇研究所(いわゆるエノケン学校)で演技を勉強する[ 9] 。同時に帝劇 ミュージカル の研究生になる。
エノケン学校卒業後は「もっと東京で修業を積みたい」として撮影所入りなどはせずに過ごしていたが、偶然ある野球場で憧れの仲代達矢 に会ったことがきっかけで発奮し[ 9] 、1955年 、帝劇ミュージカル解散の後、財津肇メ(ざいつ はじめ)の芸名で石井均 一座に入門[ 注釈 2] 。
また、新宿 の劇団「ムーラン」の舞台に立った。その「ムーラン」も数年後解散の憂き目に遭い、一時は大阪からやり直しと宝塚新芸座からOSミュージックホールと歩いた[ 12] 。
吉本新喜劇へ
1962年 に吉本興業 に入り[ 13] 、1964年 、吉本新喜劇 に参加、芸名を現在の財津一郎に改める。この芸名の名付け親は当時の吉本興業社長の林弘高 で、「吉本では大衆的な名前でいかなあかん。本名は堅苦しい。一郎と言えば河野一郎 、有島一郎 。みんな大物や」という名付け理由だったという[ 11] 。
1965年 に吉本新喜劇座長に就任[ 5] 。新喜劇では初期はサラリーマン役が多かったが、その後「老け役」が多くなっていった。
藤田まこと 主演の『てなもんや三度笠 』に浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演し、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで甲高い声で叫ぶ「ヒッジョーにキビシ〜ッ! 」「〜してチョーダィ! 」のギャグや抜いた刀の刃を蛇のようになめまわす、といった奇怪な動きが評判となり、一世を風靡 ( ふうび ) した(当初はギャグで言った台詞ではなかったそうで、演技中に突発的に奇声を発すると予想外にウケたことが由来)[ 15] 。
なお、途中からは写真師・桜富士夫(さくら ふじお)役に変更になったが、レギュラー陣の一角を担った。当初はレギュラー出演の予定ではなかったが、奇人変人ぶりがあまりにも好評だったため、レギュラー化して最終回まで出演した。ちなみに役名の蛇口一角は、忠臣蔵 の清水一角 (しみず いっかく)のもじり、桜富士夫はフィルムのブランドのさくらカラー(現:コニカミノルタ )とフジカラー からとられたもの。最初は、台本にあった自分の役名の蛇口をそのまま「じゃぐち」と読んでしまい、「アホ」と言われたという[ 16] 。
活動拠点を東京に
1969年 に吉本興業を退社して東京に活動拠点を移し、志母澤事務所に移籍[ 5] 。
1970年代前半はコミカルな芝居でさまざまな喜劇作品に出演するが、やがて硬軟使い分ける俳優として映画、テレビドラマの話題作や大作に出演。なかでも1981年 『連合艦隊 』では、中井貴一 扮する神風特別攻撃隊 に志願した青年の父親でもある海軍兵曹長役が、それまでのコミカル路線とは一線を画す重厚さで観ている側に強い印象を与えた。
1995年 、61歳の時に脳内出血 を発症し、開頭手術後は左半身に軽い麻痺が残ったが、リハビリに励んだ結果、3ヶ月後にテレビドラマの仕事に復帰した。
2010年 11月13日公開の映画『ふたたび swing me again』に主演[ 注釈 3] 。体力的な不安があったというが、監督の塩屋俊 が何度も説得したことから出演を承諾し、撮影期間中は役を演じることのみに集中して、最後までやり遂げた[ 17] 。第23回東京国際映画祭 の舞台挨拶に登壇した際、「この映画の出演は(俳優生活の)最後のごほうびだと思って演じました」と語っていた[ 18] 。
2011年 3月27日放送の『3年B組金八先生 ファイナル』の出演を最後に[ 19] 、亡くなるまで芸能活動を休止していた。
晩年
2015年 、『熊本日日新聞 』において人生をふり返ったコラム「私を語る」を連載し、同年9月にそれを1冊にまとめた初の著書『聞いてチョウダイ 根アカ人生』を発売した。
2019年 に元朝日放送 プロデューサーの澤田隆治 が時代劇専門チャンネル での『てなもんや三度笠 』特別記念番組の出演依頼をかけたところ、体調不良を理由に出演を辞退されたといい[ 20] 、同年に財津自身もメディアのインタビューに応じ、「脳出血など病気もやったことと、家内(妻)の具合が悪いことなどあり仕事は全て断っている」と語り[ 21] 、翌2020年 2月には妻に先立たれた[ 22] 。
2023年 に新潮社 (デイリー新潮)のインタビューに応じ、毎朝4時半に起床して体操 やヨガ を日課としていること、家の掃除や洗濯も自分でやっていること、運転免許証 を返納したこと、月1回のゴルフ を目下の楽しみにしていることなどを語った[ 23] 。
同年9月末に長年出演していたタケモトピアノ のCM出演契約が終了した。CMは同年8月まで放映されており、最終バーションは23年間放送され、年契約で毎年更新されていたという[ 24] [ 25] (同年11月よりナレーションベースの新CMが放送されている[ 26] )。
逝去
2023年10月14日 午後5時、慢性心不全 のため東京都内の自宅で死去。89歳没。同月18日に通夜、同月19日に告別式が近親者により執り行われ、訃報は同月19日の一部メディアの記事によって伝えられている[ 27] [ 28] 。
人物
同じ昭和9年(1934年)生まれの愛川欽也 、坂上二郎 、長門裕之 、牧伸二 、森山周一郎 、藤村俊二 、大橋巨泉 、山本文郎 、睦五朗 らとは「昭和九年会 」を結成していた[ 29] 。
長男・功 (1961年8月22日 - )は日本テレビ プロデューサー [ 30] で、孫・優太郎 (1999年7月5日 - )は俳優である[ 31] 。
人気があった反面、「クドい」と言われることも少なくなかったが、本人の持ち味であり、自覚もしていた[ 注釈 4] 。
吉本新喜劇に出演していた頃はアドリブで仁丹 を使ったネタをやったところ、当時の新喜劇のテレビ中継のスポンサーだった大正製薬 を怒らせてしまった[ 注釈 5] [ 32] 。
森繁久彌 から共演の誘いがあったが断っている[ 33] 。
ある舞台で演出家とBGM で揉め、好きなジャズ を流すように財津が勧めたが、演出家は断固として拒否した。しかし、この演出家は「財津さんは、『枠を打ち破るパワー』のある人。だから、わざと枠に閉じこめ、それを壊すくらいの演技をしてほしかったからだ」と財津の高い演技力あってこその演出法だった、と述べている。
一時期、楽屋での食事の時間を惜しみ、開演5分前になって到着したラーメン に「どうせ腹に入ったら一緒だ」として、急いで側にあったアンパン を放り込んで食べたりしており、周りからは「財津ラーメン」と呼ばれるなどしてしばらく変人扱いされた[ 34] 。
歌手の財津和夫 と縁戚関係があるとされる[ 35] 。従来は血縁関係はないとしていた。ちなみにファンレターが間違って届くことがあったという(一郎の家に「財津さんへ」と書かれている手紙が届くが、読んでいくうちに内容が音楽のことばかりのため、和夫宛だったことに気づくという)。そんな縁もあってか、一郎の出身校である済々黌 に向けて、『済々黌純情』という歌も書いている。
CM出演
財津の奇声は『こてっちゃん 』などのCMでも評判となった[ 36] 。
長年にわたりタケモトピアノ のCMが放映されていることから、関西圏でもブレイク。「CM中の財津の歌声を聞くと赤ちゃんの泣き声が止まる 」と『探偵!ナイトスクープ 』などで紹介された[ 注釈 6] [ 37] 。作り替える必要がないという理由で、タケモトピアノのCMは2023年8月の放映終了まで同じものが使われ続けた[ 20] [ 38] 。また2024年8月より放映される同社の新CMでは、同社の新イメージキャラクターであるキリン に財津の声をアテレコする形で、歌が復活した[ 39] 。
日本電気 (NEC)『バザールでござーる 』のCMにも、1991年 から2004年 まで声で出演していた[ 36] 。
「バブル経済」という言葉の語源は、彼が出演していた原ヘルス工業 「バブルスター」のCMである。当時の「新潮45」の論文中にこのCMを揶揄して、「CMもバブルなら経済もバブルで、今の経済はバブル経済と言うべき云々・・・」という風に書かれておりこれをきっかけとして「バブル経済」という言葉が広まった。この言葉によって、好調であった景気が「好ましからざる状況」と誤って捉えられ、その後の長期不況をもたらす元となった。
ギャグ
「ひっじょーにきびしーいっ 」
「、、してちょーだい 」
吉本新喜劇で用いられていたギャグ[ 41] 。
元々こういった台詞は吉本新喜劇の台本に無く、新喜劇で兄弟役で出演していた花紀京 との演技で「銭湯 を健康ランド のように改装しないとこれからの時代はやっていけない」というくだりがあり、そこで「銭湯を続けられないのは…」の所で思わず「サビシィ~!」と大声で発したら観客がウケたということで、それからこれらを持ちギャグとして発するようになったという[ 42] 。
これらのギャグは「いつでも私の原点」と話している[ 42] 。
作品
シングル
アルバム
NHKみんなのうたより 大全集6〜おふろのうた〜(1991年)
同アルバム収録の「ぼくは大きな石ころさ」を歌っている。
モダンチョキチョキズ のアルバム「くまちゃん」(1994年)
同アルバム収録の「くまちゃん」で、濱田マリ とデュエットしている。
出演
テレビドラマ
てなもんや三度笠 (1966年7月-1968年、朝日放送 ) - 浪人・蛇口一角→桜富士夫
徳川おんな絵巻 第37話「まぼろしの恋」(1971年、関西テレビ ・東映)
花嫁のれん (1971年、フジテレビ )
大岡越前 第2部 第6話「権三と助十」(1971年、TBS ) - 権三
一心太助 (1971年 - 1972年、フジテレビ・国際放映 ) - 坂部正七
なんたって18歳! 第38話「泣きぬれた名人」(1972年、TBS・大映テレビ )
隼人が来る 第9話「びっくり捕物初手柄」(1972年、フジテレビ・東映) - 目明し・団九郎
ママはライバル (1973年、TBS・大映テレビ)
出雲の阿国 (1973年、NET )
非情のライセンス (NET・東映)
第1シリーズ 第1話「兇悪の門」(1973年) - 田沢
第2シリーズ 第3話「兇悪の序曲」(1974年) - 国崎
第2シリーズ 第102話「自供」 - (1976年-1977年) - 堀刑事
赤ひげ 第31話「向う横丁のお稲荷さん」(1973年、NHK総合 ) - 利助
剣客商売 第6話「まゆ墨の金ちゃん」(1973年、東宝 ・俳優座・フジテレビ) - 三浦金太郎(金ちゃん)
アイフル大作戦 第2話「男性飼育必敗法」(1973年、TBS・東映 )
あんたがたどこさ (1973年 - 1974年、TBS)
恐怖劇場アンバランス 第2話「死を予告する女」(1973年、フジテレビ) - 久保
銭形平次 (フジテレビ)
第381話「天女を女房にした男」(1973年) - 清八
第572話「むささび小僧」(1977年) - 長吉
第627話「兇悪犯護送」(1978年) - 甚五郎
第661話「父ぅちゃんガンバレ」(1978年) - 五郎吉
第715話「浪人長持唄」(1980年) - 潮田伊十郎
第797話「逆手一文字斬り」(1982年) - 潮田伊十郎
事件狩り 第7話「魔がさした若い二人」(1974年、TBS・大映テレビ)
時間ですよ 昭和元年(1974年 - 1975年、TBS)
ムリすんなよ(1974年、TBS)
はじめまして (1975年、TBS) - 妹川乙四郎
落下傘の青春(「軍国歌謡集」より)(1975年、NHK総合)
伝七捕物帳
日本テレビ版
第85話 「恋の飛脚は東海道」(1975年) - 直吉
第122話「男一匹 かわら版」(1976年) - 市太郎
第146話「炎に泣いた父子鳥」(1977年) - 仙吉
女の夏(1975年、TBS)
新宿警察 (1975年-1976年、フジテレビ・東映) - 山辺刑事
夜明けの刑事 (TBS・大映テレビ)
第63話「母は復讐など許さない!!」(1976年) - 海津刑事
第109話「初恋をタイホせよ!」(1977年) - 熊本県警・武智大五郎刑事
必殺からくり人 第1話「鼠小僧に死化粧をどうぞ」(1976年、朝日放送・松竹) - 鼠小僧次郎吉
夫婦旅日記 さらば浪人 第19話「ひょうたんから駒の物語」(1976年、フジテレビ・勝プロ )
同級生「私の父」より(1977年、TBS)
新・座頭市Ⅰ第22話「浪人子守唄」(1977年) -難波儀衛門
達磨大助事件帳 第17話「地獄の沙汰も銭」(1978年、テレビ朝日 / 前進座 / 国際放映) - 仁斉
松本清張おんなシリーズ・馬を売る女 (1978年、TBS) - 八田英吉役
松本清張の顔・死の断崖 (1978年、テレビ朝日)
明日の刑事 第25話「一万人マラソン殺人事件」(1978年、TBS・大映テレビ)
若さま侍捕物帳 (1978年、テレビ朝日 / 前進座 / 国際放映)第3話
不毛地帯 (1979年、毎日放送 ) - 芦田国雄
雲霧仁左衛門 (1979年、関西テレビ) - 木鼠の吉五郎
活動屋ばんざい 日本映画の草分け 監督マキノ省三のカチンコ人生(1979年、関西テレビ) - 牧野省三
3年B組金八先生 シリーズ(TBS) - 左右田
第1シリーズ(1979年 - 1980年)
スペシャル9「子供を救え!大人達よ立ち上がれ」(1998年)
ファイナル「最後の贈る言葉」(2011年)
蒼き狼 成吉思汗の生涯 (1980年、テレビ朝日)
天皇の料理番 (1980年 - 1981年、TBS) - 宇佐美修
鞍馬天狗 (1981年、TBS) - 近藤勇
大江戸捜査網 第418話「錠前師の哀歌」(1981年、テレビ東京 ) - 松五郎
いのち燃ゆ (1981年) - 多吉
淋しいのはお前だけじゃない (1982年、TBS)
おゆう (1983年、TBS)
恋人・やめません?(1983年、TBS)
壬生の恋歌 (1983年、NHK総合) - 芹沢鴨
のんき君 (1983年 - 1984年、フジテレビ)
事件記者チャボ! 第6話(1983年、日本テレビ ) - 三木(怪盗下がりぐも)
西部警察 PART-III スペシャル「燃える勇者たち」(1984年1月1日、テレビ朝日/石原プロ) - 小山内
気分は名探偵 (1984年 - 1985年、日本テレビ)
サーティーン・ボーイ (1985年、TBS)
花へんろ 風の昭和日記 第二章 (1986年、NHK総合)
大都会25時 (1987年、テレビ朝日) - 坂東課長
傑作時代劇 「雲霧仁左衛門 」(1987年7月、テレビ朝日・東映) - 松屋吉兵衛
大河ドラマ (NHK総合)
家と女房と男の名誉 (1988年、フジテレビ) - 砂田伊平
火曜サスペンス劇場 「再会・殺意の方程式」(1988年12月、日本テレビ系・大映映像)
水曜グランドロマン 「ニセ学歴」(1989年6月7日、日本テレビ)
終戦特集シリーズ真相2「ボクらの疎開戦争! 」(1989年8月15日、テレビ朝日・PDS)
鬼平犯科帳 (フジテレビ)
第1シリーズ 第15話「泥鰌の和助始末」(1989年) - 泥鰌の和助
第3シリーズ 第8話「妙義の團右衛門」(1992年) - 妙義の團右衛門
第9シリーズ 第1話「大川の隠居」(2001年) - 生駒の仙右衛門
月曜・女のサスペンス(テレビ東京系・宝塚映像)
小春の春 (1989年、TBS)
びいどろで候〜長崎屋夢日記(1990年、NHK総合)
続続・三匹が斬る! 第1話(SP)「帰ってきた三匹!九州路、取るは天下かはたまた夢か」(1990年、テレビ朝日) - 伊能忠敬
忠臣蔵 (1990年、TBS) - 宝井其角
幕府お耳役檜十三郎 (1991年、テレビ東京) - 田ノ内伊織
松本清張スペシャル・数の風景 (1991年、テレビ朝日) - 守屋豊一郎
前畑がんばれ(1991年、NHK総合)
暴れん坊将軍IV 第61話「嵐呼ぶよな島帰り!」(1992年、テレビ朝日) - 長兵衛
清左衛門残日録 (1993年、NHK総合) - 佐伯熊太
土曜ドラマ (NHK総合)
嘘つきは夫婦のはじまり (1993年、日本テレビ)
付き馬屋おえん事件帳 スペシャル「散る花 咲く花 吉原と大奥の光と影!」(1993年、テレビ東京) - 中野播磨守清茂
ドラマ新銀河 (NHK総合)
企業病棟 (1994年) - 丸山部長 役
母の出発(1995年) - 遠山良作 役
お金がない! (1994年、フジテレビ) - 長尾修二
松本清張スペシャル・状況曲線 (1994年、テレビ朝日) - 味岡正弘
はぐれ刑事純情派 (1994年、テレビ朝日 / 東映 )第7シリーズ・スペシャル版「安浦刑事の挑戦!黒い疑惑…それはお立ち台ギャルの謎の死から始まった」 - 勝又謙吾
流れ板七人 (1997年、テレビ朝日)
夜会の果て (1997年、NHK総合)
はみだし刑事情熱系PART2 第1話「東京〜札幌〜小樽、愛と復讐の銃弾」(1997年、テレビ朝日)
家政婦は見た! (1997年) - 田辺勇
翔ぶ男 (1998年、NHK総合)
甘い結婚 (1998年、フジテレビ)
ブラザーズ BROTHERS (1998年、フジテレビ)
永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年、テレビ東京) - 葛西健蔵
フードファイト (2000年7月22日、日本テレビ) - 門倉
私立探偵 濱マイク (2002年、日本テレビ)
連続テレビ小説 (NHK総合)
映画
Vシネマ
アニメ
ラジオ
ナレーション
バラエティ
CM
著書
聞いてチョウダイ 根アカ人生(熊本日日新聞 社、2015年9月27日刊)
脚注
注釈
^ 当人を含め、財津家の男子の名には代々「永」の字が付いていた[ 3] 。
^ この時、楽屋の化粧室前でばったり会ったのが伊東四朗 [ 10] 。今の妻ともこの一座で出会っている[ 11] 。
^ 鈴木亮平 が主演ともされる。
^ 同じように「クドいキャラ」のルー大柴 へは「『クドいな、あいつ』と言われても、ちらっとでもこっちに目線を向けさせればこっちの勝ちだ」と直々にアドバイスしていた。
^ 幸い財津は降板せずに済んだが、この一件が元でそれまで生中継されていた新喜劇は録画放送されるようになった。
^ 赤ちゃんが泣き止む理由は財津の声が幼児が好む440ヘルツ周辺の音であるため、とのこと。
出典
^ 日本テレビ放送網 プロデューサー “TVディレクター学科 ”. 読売理工医療福祉専門学校. 2023年10月19日 閲覧。
^ Sony Music Artists 財津優太郎Data
^ a b 財津一郎 2015 , pp. 9–11
^ a b 「決定!保存版 '76 ALLスタアLIST 財津一郎」『スタア』1976年2月号、平凡出版 、94頁。
^ a b c 財津一郎 2015 , pp. 130–132, 「年表」
^ キナ線100年:済々黌人物誌(熊本日日新聞社 編集局編著、熊本日日新聞社・刊 1982年12月)「異色の先輩 ~財津一郎さん~ 」より。
^ “【エンタがビタミン♪】「火垂るの墓」のよう。聞くものが目頭を押えた財津一郎の終戦直後の体験。(前編) ”. Techinsight (2016年10月28日). 2016年9月15日 閲覧。
^ 財津一郎 2015 , p. 34
^ a b 財津一郎 2015 , pp. 42–46
^ 財津一郎 2015 , pp. 49–52
^ a b 財津一郎 2015 , pp. 61–62
^ 財津一郎 2015 , pp. 54–56
^ 財津一郎 2015 , p. 56
^ 財津一郎 2015 , pp. 64–71
^ 阿川佐和子 「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春 』2010年11月18日号、文藝春秋 、128 - 132頁。
^ “「ふたたび swing me again」主演 財津一郎さん特別インタビュー ”. PHILE WEB (2010年11月10日). 2019年8月16日 閲覧。
^ “財津一郎、主演作「ふたたび」でいい秋にしてチョウダイ!” . 映画.com . (2010年10月27日). https://eiga.com/news/20101027/13/ 2019年8月16日 閲覧。
^ “「3年B組金八先生 〜ファイナル 「最後の贈る言葉」4時間SP〜」2011年3月27日(日)放送内容 ”. テレビ紹介情報 . 価格.com. 2019年8月16日 閲覧。
^ a b “「ピアノ売ってちょーだい」のCMでお馴染み、俳優「財津一郎」は今どうしているのか” . デイリー新潮 . (2019年8月16日). https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08161101/?all=1 2019年8月16日 閲覧。
^ 「田村正和、財津一郎、 田中邦衛…あの国民的名優は今もお元気なのか 」『現代ビジネス』、講談社、2019年9月29日、2019年10月2日 閲覧 。
^ 「老老介護の末、コロナ禍のなかで妻を喪った財津一郎さんの告白 」『現代ビジネス』、講談社、2020年7月10日、2022年1月1日 閲覧 。
^ “「3回死にかけている」 89歳の財津一郎が語る健康法と23歳のイケメン孫 ”. デイリー新潮 (2023年4月1日). 2023年4月1日時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年4月2日 閲覧。
^ 財津一郎さん死去 「タケモトピアノ」CM、9月末で契約切れていた「余生を楽しんでおられる」 - 日刊スポーツ 2023年10月19日
^ 杉田康人「タケモトピアノ 財津一郎さん訃報に「やりきれない」CM終了で「ご挨拶に行きたいと言っていた矢先」 」『よろず〜ニュース』2023年10月19日。2023年11月3日 閲覧。
^ 「日本シリーズ中継「タケモトピアノのCM」がトレンド入り 新バージョンにネット「変わってて泣いた」「淡泊な感じ」 」『中日スポーツ』2023年11月2日。2023年11月3日 閲覧。
^ 「【速報】タケモトピアノCMでおなじみの財津一郎さんが急逝、TBS『日曜劇場 下剋上球児』で鈴木亮平と財津優太郎の“2人の孫”が共演も初回放送直前に息を引き取っていた 」『週刊女性PRIME』2023年10月19日。2023年10月19日 閲覧。
^ 「俳優の財津一郎さん死去、89歳 「キビシーッ!」など決めぜりふ 」『共同通信 47NEWS』2023年10月19日。2023年10月19日 閲覧。
^ 財津一郎 2015 , pp. 81–83
^ 日外アソシエーツ 編『現代日本人名録 2002』(新訂)日外アソシエーツ 、2002年、[要ページ番号 ] 頁。ISBN 4-8169-1695-4 。
^ “財津優太郎のプロフィール(身長、生年月日 など)ORICON NEWS ”. ORICON. 2023年10月20日 閲覧。
^ 前田五郎 『芸能界み〜んなホントのことでっせ!』日本文芸社 、1993年、161-162頁。ISBN 4-537-02380-5 。
^ 西条昇 著、高田文夫 編『江戸前で笑いたい「東京喜劇人列伝10 伊東四朗」』筑摩書房、1997年1月25日、270頁。ISBN 4480872876 。
^ 財津一郎 2015 , pp. 59–60
^ “財津和夫 財津一郎と遠い親戚だった「冗談でなく本当だったとは」 ネットでも反響 ”. デイリースポーツ (2016年9月15日). 2016年9月15日 閲覧。
^ a b 財津一郎 2015 , pp. 84–86
^ 財津一郎 2015 , pp. 94–96
^ 財津一郎さん死去 「タケモトピアノ」CM、9月末で契約切れていた「余生を楽しんでおられる」 - 日刊スポーツ・2023年10月19日
^ 「ピアノ売ってちょーだい♪」のタケモトピアノが新CM。AIも活用してピアノの妖精が主役に - Internet Watch・2024年7月30日
^ 財津一郎さん 極貧生活の悔しさつらさ… 独特セリフは“心の叫び”だった - スポーツニッポン 2023年10月20日
^ a b “【追悼】財津一郎さん「キビシィ~!」誕生秘話 吉本新喜劇での大声のアドリブでバカ受け ”. 日刊ゲンダイ (2023年10月20日). 2023年10月22日 閲覧。
^ 『注目コンテンツをマルチに展開するプロジェクト『インデックス・エンタテインメント』開始第1弾は「タケモトピアノCM」の新たな展開をプロデュース! 』(プレスリリース)インデックス・ホールディングス 、2005年4月5日。オリジナル の2006年10月19日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20061019182836/http://www.index-hd.com/press/press.php?id=630 。2018年4月17日 閲覧 。
^ “タケモトピアノCMソング | 商品情報 ”. 日本コロムビアオフィシャルサイト . 2023年10月19日 閲覧。
^ 東宝特撮映画全史 1983 , p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
^ ロボタン - メディア芸術データベース
^ 親子ねずみの不思議な旅 - メディア芸術データベース
^ 吾輩は猫である - メディア芸術データベース
^ 財津一郎 - オリコンCM出演情報
参考文献
関連項目
外部リンク