アメリカ のニューヨーク証券取引所 。世界で最大かつ最も重要な証券取引所である。
日本 の東京証券取引所 の内部
証券取引所 (しょうけんとりひきじょ、仏 : Bourse 、英 : Stock exchange )は、主に株式 や債券 の売買取引を行うための施設 であり、資本主義 経済における中心的な役割を果たしている。
日本においては、金融商品取引法 上の「金融商品取引所 」の免許を受けなければ証券取引所としての業務を行えない。(なお「証券取引所」とは言えない金融商品取引所(例:大阪取引所 、東京金融取引所 )も存在することからもわかるように、金融商品取引所は証券取引所を包含する概念となっている)
概要
経済の発展に欠かせない資金調達と資本運用の双方が効率的に行われるようにするため、株式および債券の需給を取引所 に集中させ、流動性 の向上と安定した価格形成を図ることがその主な役割である。
日本国内では元来は金融商品取引法(旧証券取引法)で認められた特別法人であったが、株式会社金融商品取引所への移行が進んでいる(→後述の#証券取引所の形態 参照)。
なお、証券取引法の金融商品取引法への改正に伴い、日本では法律上「金融商品取引所」と規定されているが、名称又は商号に「取引所」という文字を用いなければならないとされるにとどまるため、各証券取引所においては、東京証券取引所 との経営統合に伴い、デリバティブ 取引専門取引所に転換した大阪取引所 (旧大阪証券取引所 )を除いて従来どおりの名称が2015年現在も利用されている。
株式および債券の購入や売却について、一般の投資家 (個人投資家、取引所会員証券会社以外の機関投資家)が証券取引所で直接取引を行うことはできず、会員である証券会社 を通じて取引を行う(委託売買)か、直接当事者間で取引を行う相対売買で取引することになる。
歴史
12世紀 頃、フランス において、銀行 が代表して農村の債務を、取引し管理する「courratiers de change」と呼ばれるシステムが存在していた。そして、現在でいう株式仲介人(ブローカー)がこういった所で債権の取引きを行っていった。
欧米圏での「証券取引所」の語源であるフランス語 の「Bourse」は、13世紀頃にラテン語 で「鞄」を意味する「bursa」から派生して誕生したとも言われている。
13世紀中頃、イタリア (神聖ローマ帝国 )では、ヴェネツィア の銀行員が政府の証券 の取引きを行っていたことが知られており、他にはピサ 、ヴェローナ 、ジェノヴァ 、フィレンツェ 等でもそれぞれの政府の証券が取引きされていた。
神聖ローマ帝国 の領邦にあった北ヨーロッパの貿易都市は12世紀初頭にハンザ同盟 を結成した。その一つであるベルギー のブルッヘ では、証券取引業者らが13世紀 後半頃に「Van der Beurze」と呼ばれる一族の家で集会を行っていたが[ 1] 、これが1309年 に制度化され、「Bruges Bourse」が開催された。 この制度は近隣諸国に広がり、ヘント やアムステルダム などヨーロッパ中で次々に「Bourse」が開かれていくようになり、「Bourse」は「証券取引所」を意味するようになった。13世紀末までにはリューベック がハンザ都市のリーダーとして認められるようになった。
14世紀にはハンザ同盟とデンマーク王国 (ヴァルデマー4世 )との戦争が勃発したが1370年にはシュトラルズントの和議 が締結された。1388年にハンザ同盟はイングランド商人にも特権を与えるようになった。
1531年にはアントウェルペン証券取引所 が世界で初めて証券取引所として建設されヨーロッパの貿易拠点として栄えた。ここでは商品それ自体よりもその受領書、さらに、為替手形、預金証書、各種の公債などの証書が取り引きされていた。
イングランド (エリザベス1世 )は1565年、ロンドン王立取引所 (当初の呼称は「ブルス」、フランス語 : Bourse )を開いた。一方、フランシス・ドレーク などスペインなど他国の海上輸送を妨げる海賊 も活動した。
株主 に企業 へ投資させて、その利益と損失を共有する株式会社 のシステムはオランダ から始まった。1602年 にオランダ東インド会社 がアムステルダム証券取引所 で世界で最初の株券 を発行し、有価証券 を発行した世界初の会社となっている。
株式組織の取引所は、元々諸外国には存在せず、世界に先駆けて日本で特別に発達したが、太平洋戦争中に一時姿を消した。戦後に、株式組織の取引所が諸外国でみられるようになり、日本でも、再びみられるようになった。
主要証券取引所
証券取引所の形態
戦時中までの日本における制度では、1875年 の株式条例では、取引所の組織は株式会社と規定され、最初に設立した株式取引所が株式組織取引所であった。1887年 5月、会員組織化を目的とする取引所条例(ブルース条例)が発布され、取引所は凡て会員組織で経営しなければいけないと定めたが、ブルース条例は、取引所側の猛烈な反対により間もなく廃止され、1893年 に会員組織でも株式組織でもよいとする取引所法が発布された。
現在では、証券取引所は金融商品会員制法人(旧称:証券会員制法人)または株式会社 でなければ開設できない(金融商品取引法 に規定)。金融商品会員制法人とは、金融商品取引業者 (証券会社など)を会員とする社団である。以前は全ての証券取引所が証券会員制法人であったが、2001年 4月に大証、同年11月に東証、2002年 4月に名証がそれぞれ株式会社に組織変更している。過去独立して存在していたジャスダックも株式会社形態であった。
また、近年は私設取引システム(PTS) による取引形態も現れてきた。私設取引システムは1998年 12月施行の金融システム改革法で証券会社にその開設と運営が認められたもので、時間外取引市場(主に夜間)として機能している。
売買立会い時間
証券取引所では売買立会い時間が定められている。日本の場合、東京証券取引所 などの現物立会は9時から15時30分まで行われる。そのうち9時から11時30分を「午前立会い」(前場)、12時30分から15時30分を「午後立会い」(後場)と称しており、その間は昼休みである。名古屋証券取引所 ・福岡証券取引所 ・札幌証券取引所 では15時30分までとなっている。2008年 の大納会および2009年 の大発会までは、大発会 と大納会 は前場のみで後場の立会いは行われなかった。取引の電子化により半日にする意義が薄れたため、2009年 の大納会および2010年 の大発会から半日立会いを廃止し、前場・後場共に通常通り取引されている。
東京証券取引所の取引時間は、2011年 11月20日 までは、前場が9時から11時、後場が12時30分から15時であった[ 3] 。2010年11月10日 、東京証券取引所は2011年 のゴールデンウィーク 明け(同年5月9日 )から、同取引所の前場の時間帯を午前9時から11時30分に拡大、昼休みを実質30分短縮することを目指すと発表した[ 4] 。しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災 に伴う節電 対策のため延期され[ 5] 、当初の予定から半年あまり経った2011年11月21日より実施された[ 6] 。さらに2024年 11月5日からは、取引終了時間が15時30分までと30分延長された[ 7] 。
休業日
日本の場合、1989年 1月までは土曜日(1983年 8月以降の第2土曜日は全面休場、1972年 頃〜1983年 7月および1986年 8月以降の第3土曜日は全面休場)にも前場のみ取り引きが行われたが、金融機関 の完全週休二日制 への移行に伴い、現在は毎週土曜日・日曜日・祝日 ・振替休日・12月31日〜1月3日は全面休場となっている。
天災・戦争・元首の死去等の国家的事態が発生した場合に、臨時に休場となる場合もある。日本では1989年1月7日 の昭和天皇 崩御や、1995年 1月17日 には阪神・淡路大震災 のため大阪証券取引所のみ全日休場となったことがあった。
2001年 のアメリカ同時多発テロ 発生の際には、被害を受けたニューヨーク世界貿易センタービル (WTC)近在にあるニューヨーク証券取引所を含め、アメリカのすべての証券(金融)市場が数日間に渡り停止したことがある。
2018年 9月6日、札幌証券取引所 が北海道胆振東部地震 の発生による大規模停電で終日取引を停止した。
証券取引所の一覧
脚注
出典
参考文献
エイミー・バトラー・グリーンフィールド 著、 佐藤桂 訳『完璧な赤 -「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』2006年。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
証券取引所 に関連するメディアがあります。
一覧:
日本(現行)
日本(廃止・戦後) 日本(廃止・戦中) 日本(廃止・戦前) 南北アメリカ
ヨーロッパ アジア・オセアニア 中東・アフリカ 報道機関 関連法令・組織 関連項目 一覧
1 2013年7月16日付けの取引より、東証と大証の現物取引の市場統合により、東証によって運営
2 2010年10月12日に(旧)JASDAQ・JASDAQ NEO・大証ヘラクレスの3市場が(新)JASDAQに統合
3 現物取引の東証への市場統合前までは大証によって運営
4 2014年3月24日に、東証と大証の
デリバティブ 取引を統合し、それに特化した「大阪取引所」に転換したため「証券取引所」ではなくなった
5 2022年4月4日、東証の市場第一部・第二部・マザーズ・JASDAQが廃止され、プライム・スタンダード・グロースの3市場に再編された
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