西倉吉町

西倉吉町(にしくらよしまち[1][2])は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0816[3]

地理

市の中央部、市街地の中心部[1]。東に東倉吉町、西に尾高町がある[1]

歴史

江戸期米子城下十八町の1町で、町人[1]。町禄(町の専売権)としては畳表ござ呉服小間物販売があった[1]。宿屋も多かった[1]

1889年明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属[1]1912年(明治45年)、一部が朝日町となった[1]

区長

西倉吉区区長は以下の通り。

経済

産業

大正期には旅館が多く[注 1]、また洋服屋、紙屋があった[1]

かつて存在した商工業者は、諸商並に商人定宿の近藤(湯藤屋)[5]、和洋紙商の金田[6]、製の判沢[7]食肉小売業の益田、鮮魚小売業の中島、小売業の八田[8]菓子の木島[注 2]などがいた。

かつて存在した企業
  • 協同建設[9] - 旧社名は株式会社赤沢組[9]

人口

世帯数・人口は1923年大正12年)、167世帯・695人[1]1955年昭和30年)、189世帯・814人[1]1965年(昭和40年)、178世帯、614人[1]1975年(昭和50年)、135世帯・349人[1]

2024年(令和6年)8月31日現在は107世帯・157人[10]

出身・ゆかりのある人物

脚注

注釈

  1. ^ 旅館は岩佐旅館、米村旅館などがあった[4]
  2. ^ 木島花月堂は巣籠を製造した[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』579 - 580、871頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『米子自治史』51 - 60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月17日閲覧。
  3. ^ 米子市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年10月2日閲覧。
  4. ^ a b 『米子みやげ』65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  5. ^ 『日本全国商工人名録』1119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  6. ^ 『関西実業名鑑 明治41年』伯耆国米子町9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  7. ^ 『国民日用便覧 明治44年刊』に72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  8. ^ 『鳥取県事業所名鑑 昭和53年』米子市97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  9. ^ a b c d e 『鳥取県大鑑』222 - 225、232頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月9日閲覧。
  10. ^ 米子市町別人口世帯数統計表” (PDF). 米子市. 2024年10月2日閲覧。
  11. ^ 『鳥取島根官民肖像録』217頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月2日閲覧。
  12. ^ a b 『人事興信録 第25版 上』あ85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月2日閲覧。
  13. ^ 『鳥取県人名鑑 昭和5年版』117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月2日閲覧。

参考文献

  • 白崎五郎七編『日本全国商工人名録』日本商工人名録発行所、1892年。
  • 田中景瑩編『米子みやげ』金井友文館、1903年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治41年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 多納佐三郎編『国民日用便覧 明治44年刊』報光社、1910、1911年。
  • 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
  • 鳥取新報社編『鳥取県人名鑑 昭和5年版』鳥取新報社、1930年。
  • 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
  • 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 鳥取県統計協会編『鳥取県事業所名鑑 昭和53年』鳥取県統計協会、1980年。
  • 角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。

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