法勝寺町(ほっしょうじまち[1])は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0063[2]。
地理
米子市の中央部、米子市街地の中心部[1]。
歴史
江戸期は米子城下十八町の1町で、町人地だった[1]。町禄(町の専売権)としては唐津物、古物商が許された[1]。1889年(明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属する[1]。
区長
法勝寺区長は以下の通り。
経済
産業
かつて存在した商工業者は古着木綿商の田中、薬種商の高橋(神霊丹本舗、増屋)、醤油醸造の野波、各国諸紙類・和漢洋書籍販売商の亀井(弘文堂)[4]、漆器・陶器・仏具商の石賀、陶器・漆器商の問、陶器・漆器卸小売商の湯原、呉服太物商並に代弁業の野坂などがいた[5][6]、呉服商の松田、田中、鎌田[7]、呉服太物商の糸井[8]、呉服洋反物並に洋傘商の永見、欧米雑貨商の近藤、和洋紙・文具・小間物・足袋・煙草商の光木[9]、乾物・干魚・株式仲介の宮倉[10]などがいた。
- 店舗・企業
- かつて存在した金融機関
人口
世帯数・人口は1955年(昭和30年)、109世帯・541人[1]。1965年(昭和40年)、98世帯・421人[1]。1975年(昭和50年)、90世帯・308人[1]。
2024年(令和6年)8月31日現在は65世帯・117人[12]。
地域
施設
相談
- かつて存在した弁護士
名所・旧跡
- 石賀本店土蔵(国登録有形文化財) - 石賀家は、約400年前に米子城下に移り住み、古着や陶器、漆器、仏具など幅広い商いをしてきた老舗である[14]。土蔵は1891年の建築で、南北に細長い敷地の南側に建ち、米子城の外堀に面していた[14]。
出身人物
脚注
注釈
- ^ 『米子経済九十年の歩み』によると、1916年(大正5年)の地主層(地価30000円から35000円の部)に野坂茂三郎の名前を確認できる[20]。
出典
参考文献
- 白崎五郎七編『日本全国商工人名録』日本商工人名録発行所、1892年。
- 田中景瑩編『米子みやげ』金井友文館、1903年。
- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 中』博進館、1903 - 1906年。
- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
- 橋本治策編『関西実業名鑑 明治41年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
- 多納佐三郎編『国民日用便覧 明治44年刊』報光社、1910、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『帝國興信要録 改訂増補』帝國興信社、1918年。
- 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 大日本商工会編『大日本商工録 昭和6年版 全国 13版』大日本商工会、1931年。
- 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 『著名商工案内 昭和18年度版』商業興信所、1943年。
- 帝国興信所『帝国信用録 第34版』帝国興信所、1943年。
- 米子商工会議所編『米子経済九十年の歩み』米子商工会議所、1981年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。