藤原 公通(ふじわら の きんみち)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家閑院流、権中納言・藤原通季の子。官位は正二位・権大納言。西園寺家2代とされる。閑院按察使と号す。藤大納言とも呼ばれた。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
早くに父を亡くしたため、若い頃の昇進が遅かったことがわかる。
子・実宗が藤原師長の弟子として琵琶の秘曲伝授に深く関わったことが記録[3]に見えるが、公通も琵琶の伝承に関わった可能性がある[4]。
公通は『千載和歌集』に作者名「按察使公通」として次の歌が選ばれている。勅撰和歌集初出である。
第三巻、夏歌 148番 仁和寺の親王のもとにて、郭公の歌五首よみ侍りける時よめる
なお、同じ夏歌の部に郭公を題材にした徳大寺実定の有名な歌も作者名「右大臣」として選ばれている[5]。
分家・支流