『草競馬』(くさけいば)は、アメリカ合衆国の作曲家であるスティーブン・フォスターが作詞・作曲した歌曲である ( Play[ヘルプ/ファイル][1])。原題は"Gwine to Run All Night, or De Camptown Races"[注釈 1](一晩中走れ、あるいはキャンプタウンの競馬)と言い、単に"Camptown Races"とも呼ばれる。
「ミンストレル・ショー」と呼ばれる芝居で使用する曲として作られた。1850年2月にメリーランド州ボルチモアの楽譜出版者F・D・ベンティーン(英語版)によって出版された、その後、ベンティーンは1852年にギター伴奏付きの別バージョンを"The Celebrated Ethiopian Song/Camptown Races"のタイトルで出版した。この曲は出版されてすぐに人気のアメリカーナとなった。
1番の歌詞を以下に示す。歌詞全体は英語版Wikisourceを参照。
Camptown ladies sing dis song, Doo-dah! doo-dah! Camptown race-track five miles long, Oh, doo-dah day! I come down dah wid my hat caved in, Doo-dah! doo-dah! I go back home wid a pocketful of tin, Oh, doo-dah day! Gwine to run all night! Gwine to run all day! I'll bet my money on de bob-tail nag, Somebody bet on de bay.
日本語訳
キャンプタウンの女達が歌う、ドゥーダー! ドゥーダー! キャンプタウンの競馬場は5マイルだ、オー、ドゥーダーデー! 俺はひしゃげた帽子を被ってやって来て、ドゥーダー! ドゥーダー! 小銭でポケットを一杯にして帰るんだ、オー、ドゥーダーデー! 一晩中走れ! 一日中走れ! 俺はボブテイルの馬に賭けるんだ。 鹿毛に賭ける奴もいる。
ニューヨーク公共図書館のアメリカーナ・コレクションのキュレーターだったリチャード・ジャクソン[2]は、本曲について次のように書いている。
フォスターは、この曲をミンストレル・ショーの舞台で使うために特別に作った。彼はこの曲を、集団によるリフレインを伴う独唱曲として作曲した。方言を使用した彼の詩には、彼の最も鮮明な心像とともに、民話のような野趣のある誇張と粗野な魅力がある。『おおスザンナ』とともに、『草競馬』はミンストレル時代の至宝の一つである[3][4][5]。
司書のウィリアム・スタッドウェル(英語版)の"The Americana Song Reader"によれば、本曲はクリスティーズ・ミンストレル(英語版)によって紹介され、全米のミンストレル劇団で歌われるようになった。スタッドウェルは、「この弾むような不朽のアメリカーナの魅力の多くは、フォスターのナンセンスな歌詞によるものである」と述べている。"Banks of the Sacramento"や"A Capital Ship"などの替え歌が作られたほか、1860年の大統領選挙における反リンカーン派がこの歌の替え歌を歌っていた[6]。
音楽史家のリチャード・クロフォード(英語版)は"America's Musical Life"の中で、本曲がダン・エメット(英語版)の『オールド・ダン・タッカー(英語版)』(Old Dan Tucker)に似ており、フォスターはエメットの曲を元にして本曲を作ったのではないかと指摘している。どちらの曲も、楽器の高音とボーカルの低音の対比、コミカルな誇張表現、ヴァース‐コーラス形式、コール・アンド・レスポンス、シンコペーションなどを特徴とする。しかし、フォスターの曲は「元気で調子が良い」のに対し、エメットの曲は「疾走感があり攻撃的」である。クロフォードは、2つの曲の間のこの違いは、異なる音楽スタイルの表れであると指摘している。また、1840年代には荒々しく筋肉質で非叙情的だったミンストレルが、1950年代には上品さと叙情性を持つようになり、悲しい歌や感傷的な歌、ラブソングなどへレパートリーが拡大していったことも指摘している。クロフォードは、ダン・エメットとヴァージニア・ミンストレル(英語版)の特徴だった「騒々しい即興の娯楽」は20世紀半ばには時代遅れとなり、ミンストレルは「落ち着いた、バランスのとれたショー」に変化していったと説明している[7]。
歴史家は、本曲の舞台となったのはペンシルベニア州北東部の山間部にあるキャンプタウン村(英語版)[注釈 2]であるとしている。ペンシルベニア歴史協会は、フォスターが本曲を作る前にこの村を訪れていたことを、そしてブラッドフォード郡歴史協会は、フォスターが1840年と1841年に近くのトウォンダ(英語版)とアセンズ(英語版)の学校に通っていた記録を確認しているという。これらの学校から5マイル(8キロメートル)離れたところにキャンプタウンの草競馬場があり、年に1度草競馬が開催されていた[11]。
ルイス・モロー・ゴットシャルクは、1855年のピアノ曲『バンジョー(英語版)』の中で本曲のメロディーを引用している[12]。チャールズ・アイヴズは、1909年に作曲した『交響曲第2番』に欧米の様々な旧来の旋律を引用しているが、その中に本曲も含まれている[13][14]。
サッカーイングランド代表のサポーターによって歌われる応援歌である"Two World Wars and One World Cup"(2つの世界大戦と1つのワールドカップ)は、本曲の替え歌である[15]。
2020年東京オリンピックの開会式では、全50種目のピクトグラムを全身で表現するパフォーマンス中、馬術競技のピクトグラムを演じている際にこの曲の一部が使用された。
日本でも訳詞されて広く親しまれている。訳詞はいくつかあるが、知られたものには津川主一、峯陽、並木祐一、北川あさ子のものなどがある。
本曲の替え歌によるCMソングを使用したCMがこれまでに数多く放送されている。
以下の駅では、セイコーエプソン製のメロディICに内蔵されている音源を列車の接近もしくは発車時の警告音として使用している。
このほか、JR西日本高山本線の越中八尾駅と氷見線の越中中川駅でも別の音源が接近警告音として使用されている。
また京浜急行電鉄本線立会川駅では、大井競馬場の最寄り駅であることにちなみ、2009年1月20日から接近メロディとして使用されている[27]。編曲は塩塚博が手掛けた[28]。