草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。
妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。
神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した[1]。
八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。その間、1952年(昭和27年)から大宅壮一の助手として2年間師事した[1]。1956年(昭和31年)『週刊新潮』創刊に加わり、当初はリライターとしての起用だったが、次第に特集記事を任されるようになり、記者の取材結果を草柳がアンカーとして記事にするという分業体制も生まれた。
1957年、大宅壮一が創設した「ノンフィクションクラブ」に参加した。1958年(昭和33年)『女性自身』の創刊に参画した。同年からフリーランサーとなり[1]、週刊誌の草創期に自らアンカーとなった取材・執筆の「草柳グループ」を率いた[1]。1967年には「大宅壮一東京マスコミ塾」で講師をつとめる[2]。
1962年(昭和37年)、『芸術生活』に「山河に芸術ありて」を連載し、初めて評論家として署名で仕事を始める。それ以降は人物、芸術、世相などの評論を中心に活動する[1]。1966年(昭和41年)、『文藝春秋』に連載した「現代王国論」で文藝春秋読者賞を受賞した。一貫して、いまある日本はいかにして形づくられたのか、という問いを維持しつづけてきた。1984年(昭和59年)にNHK放送文化賞を受賞した[1]。内外調査会理事、NHK経営委員、静岡県人づくり百年の計委員会の会長等を歴任した[1]。
主な著作は『現代王国論』、『実録 満鉄調査部』上・下、『官僚王国論』、『ものを見る眼・仕事をする眼』、『内務省対占領軍』、『日本解体』、『昭和天皇と秋刀魚』、『池田大作論』ほか多数。
2002年(平成14年)7月22日[1]、静岡県熱海市の自宅で死去した。享年78。2003年(平成15年)3月に妻・草柳アキが蔵書の一部(7148冊)を静岡県立中央図書館に寄贈し、“草柳大蔵コーナー”と名付けられた。