累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名。江戸時代、この地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊とその除霊をめぐる物語は広く流布した。
この物語を題材にとり、四代目鶴屋南北作の『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)をはじめとした累物(かさねもの)と呼ばれる一群の歌舞伎作品がうまれたほか、三遊亭円朝は怪談噺『真景累ヶ淵』を作り上げた。
累の物語が最初に広く知られたのは、元禄3年(1690年)に出版された仮名草子本『死霊解脱物語聞書』が評判となった時である。同書によれば、慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)までの60年にわたって繰り広げられた実話に基づくとされている。ただし、同書に先行する作品としてほぼ同様な内容だが椋梨一雪の「古今犬著聞集」天和四年(1684年)がある。
法蔵寺には累を弔った墓があり、常総市の指定文化財になっている[1]。また、法蔵寺には祐天上人が解脱に用いたという数珠・累曼陀羅・木像なども保存されている[1]。
累ヶ淵の物語は江戸時代を通じて流布し、これに触発された作品が多く制作された。「累」という名の女性主人公が、因果の中で「与右衛門」という名の夫に殺害され、怨霊となる筋立てが共通するが、設定は作品によってさまざまに変化している。
怪談として広く知られる契機になったのは四代目鶴屋南北作の「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)が上演されて以降とされるが[1]、「色彩間苅豆」も、累ヶ淵の説話が広く知られていることを前提として脚色が加えられた作品である[2]。
三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』を原作とする映画が、無声映画時代からたびたび制作されている。
関東鉄道常総線中妻駅から約873mあるいは飯沼バス停下車