田丸 一男(たまる かずお、1960年9月11日 - )は、オフィスキイワードに所属する日本のフリーアナウンサー で、元・NHKおよび毎日放送(MBS)アナウンサー。防災士。
大阪府大阪市の出身で、現在は兵庫県川西市に在住。3人の子どもと、4人の孫がいる。
祖父が美術教師だった影響もあり、小学校1年から絵画教室に通い二科会関西支部主催のこもど二科展(中学生以下を対象)に小学2年から3年連続で入選。同時にヤマハ音楽教室に通いエレクトーンを4年間習う。両親は阪急百貨店の社員だったが、実父は学生時代にNHKのアナウンサーを志していた。その志を果たせなかった実父から、10歳の時に『NHKアナウンス読本』(日本放送協会編)をプレゼントとして渡されたことをきっかけにアナウンサーを目指すようになった。
兵庫県立川西緑台高等学校から関西学院大学経済学部へ進学。KGB(関西学院大学総部放送局)のアナウンスパートに所属し、学内放送でニュースや情報番組を担当。大学2年からはアナウンサー採用試験を目指し、大阪のアナウンサー養成の私塾、生田教室でアナウンス技術の研鑽を積んだ。就職活動では、第一志望の毎日放送が当時アナウンサーを採用していなかったことから、在京放送局を中心に採用試験を受験。同期のアナウンサー志望者からは、柄沢晃弘(青山学院大学から後にTBSへ採用、現在はWOWOWのシニア・エグゼクティブ・アナウンサー)と共に一目置かれていて、受験した局の試験では必ず上位に残っていた。テレビ朝日の試験では、最終段階まで残ったところで、系列局の朝日放送(毎日放送と同じ在阪民放局)への入社を勧められている。結局、大学卒業後の1984年にNHKへ入局[1]。田丸が後年述懐したところによれば、NHK大阪放送局でアナウンサーの採用試験を受けた後に、同局の人事担当者から電話を通じて「あなたと一緒に仕事をさせていただきたい」という言葉で採用の内定を告げられたことが決め手になったという。
NHK入局後にNHK高知放送局へ配属。1988年に大津放送局へ異動した。本人は大阪放送局での勤務を希望していたが、生田教室での先輩に当たる柏木宏之(毎日放送アナウンサー)からの紹介で、1990年に同局のアナウンサー中途採用試験を受験。後に採用が内定したことから、1991年1月31日付でNHKを退局した後に、4月1日からアナウンサーとして毎日放送へ移籍した。
毎日放送の本社屋が現在の大阪市北区茶屋町へ移転してから最初に採用された局員(詳細後述)。スポーツアナウンサーとして主にプロ野球の阪神、オリックス、近鉄(当時)の試合の実況をテレビ、ラジオで担当。2000年10月から報道担当アナウンサーに変わり、報道番組「VOICE」(月 - 金 午後6時15分~7時)の特集ナレーター、ニュースリーダーを19年にわたって担当。自らも企画取材に積極的であった。
阪神淡路大震災(1995年1月)では自らも被災しながら、直後から被災地の取材にあたり、テレビ、ラジオのリポートや特別番組のキャスターを担当。その経験からアナウンサー室員の地震初動対応の訓練の窓口として指導に当たった。2020年9月の誕生日で同局の定年(60歳)に到達したことに伴って、同月30日付で退職。退職の2年前(2018年)には柏木(同年2月で定年)に続いて「シニアスタッフ」(嘱託契約扱いのアナウンサー)として毎日放送への勤務を続ける意向を示していたが、実際には嘱託契約を結ばなかった。
毎日放送を退職後、2021年4月から大阪のオフィスキイワードに所属し、アナウンススクール講師やフリーのナレーター・スポーツ実況として活動している。
妻はNHK高知放送局時代の同僚で(契約アナウンサー)、高知県向けローカル番組『FMリクエストアワー』(土曜日午後3時10分~6時)『夕べのひととき』(月 - 金 午後6時~6時50分)やNHKラジオ第一、FM放送の天気予報、お知らせ(午前11時55分~正午)などを担当していた。
1991年3月にNHKを退局した後に、同年4月から、アナウンサーとして毎日放送へ移籍。同期の新卒入社組に、定年で退職するまでの同僚でもあったアナウンサーの亀井希生や、テレビプロデューサーの渥美昌泰・田渕伸一などがいる。
1991年から9年間はスポーツアナとして実況・リポートを担当。テレビ・ラジオのプロ野球中継(阪神タイガース・オリックスブルーウェーブ・近鉄バファローズ)を中心に、Jリーグサッカー(ガンバ大阪・セレッソ大阪)、甲子園球場での選抜高校野球大会、関西大学ラグビー、花園ラグビー場での全国高校ラグビー、全国高校女子サッカー、日本女子サッカーリーグ、淡路島女子駅伝などを担当した。
MBSが平日の夕方に報道番組『VOICE』を開始した2000年10月から、報道担当アナウンサーに転向。ニュースリーダーや特集・コーナー企画のナレーターを務めた。「憤懣本舗」「阪神の星☆」などのレギュラーコーナーにおけるナレーションは人気で、自身も企画やリポートを担当。主婦目線の取材には定評がある。2014年4月からは月曜日のみ担当。2015年4月からは月曜・火曜日、2017年4月から月曜~水曜日担当。同番組を引き継いだ「Newsミント!」(『ミント!』内の関西ローカルニュースパート)でも、2019年4月の番組開始から半年間、月~水曜日のニュースリーダーを務めた。2019年9月末まで通算19年にわたって報道番組のナレーター一筋で活動。
毎日放送アナウンサーの企画・出演によるバラエティー番組『あどりぶランド』では、軽妙なキャラクターを活かした。NHKから同局への移籍を決めたのは、現役のアナウンサーとして同番組へ出演したかったことにもよる。
TBSを始めとするJNN・JRN系列各局で、毎年優秀なアナウンサーに与えられるアノンシスト賞を、個人・チーム通算で8回受賞している。
防災リーダーとなるべく、2015年に日本防災士機構による民間資格「防災士」を取得し、同僚アナウンサーへ防災意識の啓発や防災、減災等の知識や技能の向上などに取り組んだ。
JOC(Jump Over Cancer)~もっと知りたい がんのこと~プロジェクトメンバーとして活動
2020年9月で毎日放送を定年退職した後、フリーランスでアナウンス活動を開始。2021年4月から大阪のプロダクション、オフィスキイワードに所属している。 →プロフィールサイト
オフィスキイワード、事務所が運営するアナウンススクールの大阪教室でレギュラー講師を、関西アナウンススクールの大阪校で初級(発声など基礎)クラスを担当している。若手、放送タレントのスポーツ実況の指導も行っている。→オフィスキイワードアナウンススクール →関西アナウンスクール また、2021年4月から兵庫県伊丹市の朗読ボランティアグループ「グループ声」(音訳・朗読)のメンバーを対象に定期的にアナウンス教室の講師を務める。
2021年7月から夏の高校野球兵庫大会(姫路ケーブルテレビ制作・姫路球場での試合)の実況を担当。2021年11月には全国高校ラグビー大会・大阪府予選をケーブルテレビ、JCOMで実況。
2022年2月には、アフリカでの太陽光ビジネスを展開する滋賀県東近江市の企業を新聞広告用にインタビュー取材。神戸新聞、京都新聞2紙で全面広告として掲載された[5]。
クラシック音楽番組でのトーク
FM大阪「くらこれ!」にゲスト出演(2023年6月11日放送)。趣味のチェロやクラシック音楽の知識を活かして番組編集長の吉川智明さんとトーク。[6]
母校の兵庫県立川西緑台高校(兵庫・川西市)で、卒業生による「みどりの架け橋講演会」で講演。演題は「知られざるアナウンサーの仕事 ~マスコミの世界の魅力~」。(2022年5月)[7]。この講演会をきっかけに、2022年7月から同校放送部(MBC放送委員会)部員に定期的にアナウンスの基礎をアドバイスしている。
関西学院大学放送部 同窓会パーティーMC
母校の関西学院大学の放送部(KGB総部放送局)の73周年記念同窓会パーティー(2024年4月6日)の司会を、2学年上の豊田記子(のりこ)さん(現在、フリーアナウンサー)と担当した。
母校の高校で学校評議員を務める
2024年6月から母校の兵庫県立川西緑台高校(兵庫・川西市)で学校評議員を委嘱され学校運営に意見をしている。
上記の番組に加えて、移籍の直後から、単独(または同僚アナウンサーとの共演)で多数のラジオCMに出演。後輩アナウンサーがパーソナリティを務める生放送のラジオ番組に向けてメッセージを投稿することや、投稿したメッセージが放送中に取り上げられることも多かった。