田中 裕介(たなか ゆうすけ、1986年4月14日 - )は、東京都八王子市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)。
2005年に横浜F・マリノスに入団したが、当初は同じポジション(左サイドバック)に絶対的なレギュラーであったドゥトラが居たため、なかなか出場機会が得られなかった。その後、クラブの世代交代の一環として2006年シーズン終盤から左サイドバックとして出場機会が得られるようになり、2007年シーズンの序盤はレギュラーとして出場。しかし、軽度の怪我で戦列を少しだけ離れた時期に、同じポジションを争っていた小宮山尊信が台頭。その後はベンチに入れるか入れないか、という状態が続いた。
クラブでは控えに甘んじていたが、U-22代表にも招集され、2007年6月6日に行われた北京オリンピックアジア地区第2次予選・対マレーシア戦で先発フル出場を果たした。しかし、この試合ではあわや失点につながる大ミスを犯してしまうなど、十分なパフォーマンスを見せる事が出来なかった(サッカーダイジェストの採点は全選手中最低の5点であった)。
出場機会をなかなか生かしきれない状態が続いていたが、2008年シーズンは桑原隆監督の抜擢を受け、左ストッパーとして開幕戦からレギュラーの座を掴み取った。2009年は右サイドバックにコンバート。2010年は小宮山が抜け、左サイドバックに定着したが、夏場は起用されなかった。
2011年に川崎フロンターレに移籍し、かつてのライバルであった小宮山と再度プレーすることになった。
2014年の12月4日に契約満了が発表された[1]。
2015年1月11日、オーストラリア・Aリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCと契約を結んだ[2][3] が、同年6月6日、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCを退団したことをクラブの公式ウェブサイトで発表した[4]。
2015年7月9日、当時J2に所属していたセレッソ大阪に移籍することが発表された[5]。
2016年は33試合に出場してチームのJ1昇格に貢献。
2017年はルヴァンカップのチームの勝ち上がりに出場機会の少なかったメンバーと共に貢献、チームは優勝。天皇杯決勝・横浜Fマリノス戦に出場し、延長戦の末の優勝に貢献。
2018年、シーズン初戦・前年度リーグ王者の川崎フロンターレとのスーパーカップに出場、優勝に貢献。徐々に出番を無くし、2018シーズン終了後に契約満了により退団する事が発表された[6]。
2018年12月、ファジアーノ岡山への完全移籍が発表された[7]。
2021年11月26日、契約満了が発表された[8]。
2022年2月10日、東京都1部リーグに所属するSHIBUYA CITY FCへ加入することが発表された[9]。
2023年1月10日、現役引退およびSHIBUYA CITY FCの運営会社の執行役員に就任することが発表された[10]。
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