源 湛(みなもと の たたう)は、平安時代前期の公卿。嵯峨源氏、左大臣・源融の長男。官位は従三位・大納言。
経歴
清和朝の貞観5年(863年)無位から従五位下に叙爵。のち、備後権介・備前権介・侍従・土佐権守を歴任。貞観18年(876年)従五位上・左兵衛佐に叙任されると、以降清和・陽成・光孝・宇多の四朝の17年間に亘って武官を務める。
この間、光孝朝の元慶9年(885年)右近衛少将、仁和2年(886年)正五位下、宇多朝に入ると仁和4年(888年)五位蔵人、寛平2年(890年)従四位下・蔵人頭兼右近衛中将、寛平4年(892年)左近衛権中将と順調に昇進し、寛平5年(893年)参議に任ぜられて公卿に列した。
議政官を務める傍ら、弾正大弼・刑部卿などを兼帯し、寛平8年(896年)従四位上、昌泰4年(901年)正四位下と昇進を重ね、延喜8年(908年)従三位・中納言に叙任される。延喜9年(909年)陸奥出羽按察使に任ぜられ、延喜12年12月(913年1月)に致仕を請うが許されず、翌延喜13年(913年)正月に大納言に至る。
延喜14年(914年)8月に致仕を許され、翌延喜15年(915年)5月21日薨去。享年71。最終官位は致仕大納言従三位。
官歴
注記のないものは『日本三代実録』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献