源 昇(みなもと の のぼる)は、平安時代初期から中期にかけての公卿。嵯峨源氏、左大臣・源融の次男。官位は正三位・大納言。河原大納言と号す。
経歴
清和朝の貞観17年(875年)従五位下に叙爵し、陽成朝の元慶3年(879年)従五位上に叙せられる。土佐権守を経て、光孝朝初頭の元慶8年(884年)右馬助に任ぜられると、元慶9年(885年)左兵衛佐、仁和2年(886年)左衛門権佐と、光孝朝から宇多朝初頭にかけて武官を歴任し、仁和4年(888年)正五位下に昇叙された。
寛平3年(891年)右中弁に遷ると、寛平5年(893年)従四位下・蔵人頭兼左中弁に叙任されるなど、宇多朝では要職を務め、寛平7年(895年)参議に任ぜられ公卿に列した。なお、参議任官後も左中弁を兼帯した数少ない例となっている。
議政官の傍らで、左中弁・侍従・勘解由長官などを兼帯し、醍醐朝の寛平9年(897年)従四位上、延喜4年(904年)正四位下と昇叙された。
その後も、延喜8年(908年)従三位・中納言、延喜14年(914年)大納言と昇進を重ね、延喜16年(916年)正三位に至る。延喜18年(918年)6月29日薨去。享年71。最終官位は大納言正三位兼民部卿。
官歴
『公卿補任』による。
系譜
脚注
参考文献