永山基準[1](ながやまきじゅん[1]、Nagayama Criteria[2])は、日本の刑事裁判において死刑を選択する際の量刑判断基準[1]。
1983年(昭和58年)7月8日に最高裁判所第一小法廷(大橋進裁判長)が連続射殺事件(1968年発生)の加害者である被告人・永山則夫(事件当時19歳少年)に対し、控訴審(東京高等裁判所)の無期懲役判決を破棄して審理を東京高裁へ差し戻す判決(第一次上告審判決・以下「本判決」)を言い渡した際に提示した傍論[3]が由来で、日本の最高裁判所が初めて詳細に明示した死刑適用基準である[4]。
本基準は必ずしも他の判決に対し拘束力を持つ判例ではないが、後に死刑適用の是非が争点となる刑事裁判でたびたび引用され、広く影響を与えている[1]。
本判決において、最高裁第二小法廷は基準として以下の9項目を提示し「それぞれの項目を総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」[3]とする傍論を判示した。
本判決は「基準」という言葉そのものは明示しておらず[注 1][9]、それぞれの項目では具体的な数値は示されていない[1]。しかし、その後に行われた死刑事件の刑事裁判では本判決の「各論」と比較・検討して結論を出し、判決理由にて9項目を掲げた「総論」の表現を引用する手法が多く取られている[9]。特に被害者数について、同判決は「結果の重大性ことに殺害された被害者の数」と強調した上で被害者数に言及しているため、その後は被害者数が1人の場合は大半で懲役刑が選択され、「一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人以上なら死刑。2人が無期懲役と死刑のボーダーライン」という量刑相場が形成されていった[10]。
その一方で光市母子殺害事件(1999年に発生)の最高裁による差し戻し判決(2006年)では犯行時の被告人の年齢を重視せず[1]、「やむを得ない場合のみ死刑適用が許される」と判示した本判決とは逆に「犯罪の客観的側面が悪質な場合は、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判示している(後述)[11]。このことから「同判決により、死刑適用基準の解釈に新たな変化がもたらされた」とする識者の見解[1]・判例評釈もある[10]。
被告人・永山則夫は1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけて東京都・京都府・北海道・愛知県の4都道府県で相次いで男性警備員など4人を射殺するなどしたとして殺人罪(2件)・強盗殺人罪(2件)などの罪に問われ、1979年(昭和54年)7月10日に東京地方裁判所刑事第5部(蓑原茂廣裁判長)で死刑判決を受けた[12]。一方、永山裁判当時は世界的に死刑廃止の潮流が広まっていた[注 2][13]。また日本国内でも死刑判決の宣告数が減少傾向にあった[注 3]ほか、冤罪が問題になり[注 4]、死刑存廃論議が高まっていた[注 5][13]。
永山および弁護団が判決を不服として東京高等裁判所へ控訴したところ、東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)は1981年(昭和56年)8月21日、犯行時の年齢・幼少期の貧困・第一審判決後の反省の情など、永山にとって有利な情状を評価し、死刑判決を破棄して無期懲役判決を言い渡した[14]。この時、東京高裁 (1981) は判決理由で以下のように判示している[15]。
ある被告事件について、死刑を選択すべきか否かの判断に際し、これを審理する裁判所の如何によって結論を異にすることは、判決を受ける被告人にとって耐えがたいことであろう。もちろん、わが刑法における法定刑の幅は広く、同種事件についても、判決裁判所の如何によって宣告される刑期に長短があり、また、執行猶予が付せられたり、付せられなかったりすることは望ましいことではないが、しかし裁判権の独立という観点からやむを得ないところである。しかし、極刑としての死刑の選択の場合においては、かような偶然性は可能なかぎり運用によって避けなければならない。すなわち、ある被告事件につき死刑を選択する場合があるとすれば、その事件については如何なる裁判所がその衝にあっても死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に限定せられるべきものと考える。立法論として、死刑の宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとすべき意見があるけれども、その精神は現行法の運用にあたっても考慮に値するものと考えるのである。 — 東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)・1981年(昭和56年)8月21日判決、事件番号:昭和54年(う)第1933号[16]
同判決は死刑について極めて限定的な解釈を示したもので、死刑廃止運動に弾みをつけるものとなったが、検察は「死刑制度の存在に目を覆ってその宣告を回避したもので、運用面での死刑廃止論に等しい」と反発した[17]。結果、東京高等検察庁は以下の理由から同年9月4日付で[18]、判例違反[注 6]および甚だしい量刑不当[注 7]を理由に最高裁へ上告した[19]。
この上告は最高裁に対し、死刑適用の基準を示すことを迫る形となった[17]。上告審における審理の結果、最高裁第二小法廷は戦後の刑事裁判で初めて被告人に不利益な方向で控訴審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻す判決を言い渡したが、その際に「犯罪・刑罰のバランスや犯罪防止の見地から極刑がやむを得ないときは、死刑の宣告が認められる」として[4]、前述の9項目を提示した。ただし、その内容は最高裁が初めて明示したとはいえ、従来から刑事裁判においてすべての裁判官が量刑選択に当たり留意している量刑の判断基準のうち、一部を羅列したにすぎなかった[21]。また、村野薫 (2006) は「本判決は『残虐性』『遺族の被害感情』『犯行後の情状』など、客観化しづらい抽象的な要件をいかに評定へ取り込むかについては言及されていなかった。また、比較的客観化しやすい要件である『被害者の数』『犯人の年齢』についても、『それぞれの要素が全体の量刑に与える比重』『被告人に不利な評価と有利な評価とのバランスの取り方』など、『罪責が誠に重大(=死刑選択もやむなし)』か否かを考察するために必要とされる点についても言及されていなかった」と指摘している[22]。
なお永山は差し戻し後の控訴審の結果、1987年(昭和62年)3月18日に東京高裁第3刑事部(石田穣一裁判長)で控訴棄却判決(第一審・東京地裁の死刑判決を支持する判決)を受け上告したが[23]、1990年(平成2年)4月17日に最高裁第三小法廷(安岡満彦裁判長)にて上告を棄却する第二次上告審判決を受けたことで死刑が確定[24]。この第二次上告審判決も本判決が示した死刑選択基準を追認する形となった[24]。そして永山は法務大臣・松浦功の死刑執行命令により、1997年(平成9年)8月1日に収監先・東京拘置所で死刑を執行されている[25]。
本判決以前から、死刑適用の可否が争われる刑事裁判では殺害された被害者の数が重要視されていた[26]。これは刑法上、最も重要な法益は生命であり、これが現実に侵害された個数が多い=刑事責任が重いと考えられるためである[27]。
村野薫 (1990) が死刑事件・無期刑事件の量刑比率(「死刑:無期刑」)について調査したところ、以下のような結果が算出されている[注 8](グラフの赤い部分■が死刑事件の割合を示す)[29]。
戦後の混乱期には、単純な1人殺害に止まる者でも死刑とされた例がある[注 9]が、裁判所はその後、死刑判決を抑制するようになり、極めて慎重に言い渡すようになった[33]。特に、1965年(昭和40年)以降は死刑適用が相当抑制されるようになり[34]、東京高検の上告後に本事件の調査を担当した稲田輝明(最高裁判所調査官)[35]も、過去の重大事件における死刑と無期懲役の量刑の境界について調査し[36]、「強盗殺人罪の場合、全体的に被害者が1人の場合は無期懲役以下、複数であれば死刑が適用される傾向にある」と結論付けている[26]。また、永山の死刑が確定した第二次上告審判決(1990年)に関与した園部逸夫(最高裁判所裁判官)は、『読売新聞』社会部記者からの取材に対し、「永山基準は、裁判官が死刑選択に当たって自分を納得させるための『てこ』となる基準を求めていた中で生まれた。9項目のうち、『ことに』という表現が用いられた『殺害方法の執拗性・残虐性』『被害者の数』が重視されたが、その後は下級審の裁判官の間で『被害者が1人の場合、よほどの事情がなければ死刑にできない』という空気が生まれたことは否定できない」と述べている[37]。
最高裁司法研修所は2012年(平成24年)7月23日[38]、『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』と題した研究報告書をまとめた(『司法研究報告書』第63輯第3号として刊行、同年10月に法曹会から発売)[39]。同報告書によれば、1980年度(昭和55年度) - 2009年度(平成21年度)に死刑か無期懲役が確定した死刑求刑事件346件[40]・被告人346人(死刑193件・無期懲役153件)について分析したところ[8]、殺人の場合は174人中93人の、強盗殺人の場合は172人中100人の被告人について死刑が確定していた[40]。また、死亡した被害者数と死刑適用の比率について分析したところ、以下のような結果が出た[41][38]。
以上のように、被害者数と死刑判決との間には強い相関関係があり、死刑宣告に当たっての最も大きな要素は被害者数であると報告されている[41]。概ね「被害者に落ち度がなく、複数の被害者を殺害した事件の場合は原則的に死刑である」とされるが[33]、以下のような例外もある[以下(事件発生年 / 殺害人数)と表記]。
司法研修所 (2012) によれば、1980年度 - 2009年度に判決が確定した被害者3人以上の死刑求刑事件(全82件)のうち、無期懲役が確定した事例は17件(すべて殺人事件)[42]。強盗殺人罪に問われた21件はいずれも死刑が確定していた[41][43]が、報告書発行後(2015年)に発生した熊谷連続殺人事件(6人殺害)では2020年に、被告人の心神耗弱を理由に無期懲役が確定している[44]。
また、地下鉄サリン事件(1995年:オウム真理教事件)の実行犯(サリン散布役)の1人である林郁夫は、自身がサリンを散布した車両で2人を死亡させた(事件全体では計12人[注 27]が死亡)。本来ならば死刑を求刑されてもおかしくない事例だったが[注 28]、自首を有利な情状と認定した検察側が死刑求刑を見送り、求刑通り無期懲役判決が確定した[注 29][88]。
殺害された被害者が2人の事件の場合、計画性が高くなかったり、「主犯ではない」と認定されたりした場合に死刑が回避される傾向が目立っている[89]。また、日本弁護士連合会 (2011) は「異なる機会に2人を殺害した場合には、殺害を繰り返したということで、死刑判断になりやすいが、同じ機会に2人を殺害した場合には無期懲役判断になったものが多い」と報告している(例:名古屋アベック殺人事件)[90]。
一方で1人死亡の事件の場合は、本判決で「永山基準」が示されて以降、死刑回避の傾向が強まっている[105]。「永山基準」以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定した死刑囚の人数は(2008年2月 / 三島女子短大生焼殺事件の加害者の死刑が確定する直前時点で)24人だが、以下のような事情がある場合に限られている[106]。
本判決以降、下級審では特に被害者1人の事件への死刑適用に慎重な傾向が強まり、1993年(平成5年)12月 - 1998年(平成10年)3月まで、死刑確定が1件もない期間が続いた[110]。この流れに危機感を抱いた検察側が、1997年(平成9年) - 1998年にかけて「連続上告」に踏み切ったところ、最高裁は「被害者が1人でも極刑がやむを得ない場合はある」と判示(後述)[110]。2000年(平成12年)以降は犯罪被害者保護法・犯罪被害者等基本法の制定など、被害者・遺族重視の傾向が強まり、被害者1人の事件で死刑が確定する例も散見されるようになった[110]。
「国民の常識を刑事裁判に反映させる」との趣旨から、(2009年に)裁判員制度が導入されて以降は、殺害された被害者が1人の事件では(2017年までに)計4件で、(いずれも裁判員裁判により)被告人に死刑判決が言い渡されたが、被告人が控訴を取り下げて確定した1事件(岡山元同僚女性バラバラ殺人事件)を除き、いずれも控訴審(職業裁判官のみの審理)では死刑判決が破棄され、無期懲役が言い渡されている(後述)[111]。
以下、太字は最高裁が死刑判決を是認したケースである。
第一審判決は無期懲役だったが、控訴審[注 38]で死刑となり[128]、上告棄却判決により確定[127]。
奈良小1女児殺害事件(2004年)[注 61][149]
日建土木保険金殺人事件[120](1976年)[注 66][160][143]
地下鉄サリン事件(オウム真理教事件)の実行犯のうち1人である横山真人は、自身がサリンを散布した車両では1人の死者も出さなかったが、サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことが重視され、地下鉄サリン事件全体(12人殺害)の関与者の一人として殺人罪を適用され、死刑が確定している。
また、司法研修所 (2012) は「死亡被害者が1名の殺人事件で死刑が選択された」事例の1つとして、勝田清孝事件(死刑の主文2個の事例:事件全体の死者は8人)を挙げている[154][176]が、これは加害者(勝田清孝)が被害者7名の強盗殺人(甲事件:1972年 - 1980年)を犯した後、1980年に別の窃盗事件を起こして検挙され、翌1981年に有罪判決が確定[177]。その確定判決後(1982年)に被害者1名の殺人事件(乙事件:警察庁広域重要指定113号事件)を犯して検挙され、それまで未解決だった甲事件も含めて起訴された結果、甲・乙両事件ともに死刑を宣告された事例である[177]。
1990年代に入ると(特に殺害された被害者が1人の事件について)裁判所が死刑を回避する傾向が顕著になり[注 69][37]、検察内部でも「死刑はよほどの事件でなければ出ない」という空気が漂うようになっていた[179]。
そのような中で検察当局は1997年 - 1998年にかけ、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」として、控訴審で無期懲役とされた強盗殺人事件の5被告人について死刑を求め上告した[180](連続上告)[181]。このうち、国立市主婦殺害事件(1992年10月に東京都国立市で発生)の刑事裁判では[180]、強盗強姦・強盗殺人・窃盗の罪に問われた[182]被告人[注 70]について、東京高検が「死刑を適用すべきで、無期懲役は著しく正義に反する」として、被害者が1人で被告人に殺人前科がない死刑求刑事件としては初となる上告に踏み切ったが[185]、最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は1999年(平成11年)11月29日に無期懲役判決を支持して高検の上告を棄却する判決を言い渡した[180][182]。同小法廷は同判決において、死刑回避の判断を是認した理由として「強盗強姦は計画的犯行だが、殺人は計画的な犯行ではない。被告人の前科・余罪を見ると性欲・金銭欲に基づく犯罪への親近性が顕著だが、他人の殺害や重大な傷害を目的とした犯行はこれまでにない」と指摘したが、一方で「殺害された被害者が1名の事案においても、諸般の情状を考慮して極刑がやむを得ないと認められる場合があることはいうまでもない」と判示している[182]。
同時期に検察が上告した3事件についても上告棄却の判断が出されたが、1件(福山市独居老婦人殺害事件:無期懲役囚の仮釈放中の再犯事件)だけは検察の上告が容れられ、同年12月に第二小法廷が「死刑を選択するほかない」として原判決を破棄し、審理を広島高裁へ差し戻す判決を言い渡した[186]。死刑を求めた検察の上告が認容され、破棄差し戻しとなった事例は本事件(永山事件)以来で、同事件は2007年に死刑が確定した[186]。最高検察庁刑事部長として「連続上告」を決断した堀口勝正は、後に『読売新聞』社会部記者からの取材に対し「仮釈放中の再犯事件は国家による殺人と同じで、『福山事件のような犯罪を再び無期懲役にすることを許せば、国民の治安への信頼が地に落ちる』と危惧した。当時は寛刑化・死刑回避の傾向が非常に強く、死刑適用に慎重な流れが裁判官の判断を抑圧していた上、検察内部でもあきらめのような空気があったが、連続上告により極刑に慎重な流れを取り払うことができた」と述べている[187]。
また裁判員制度(2009年導入)施行後、殺害された被害者が1人である2事件で、過去に無期懲役に処された前科を有さない被告人2人にそれぞれ死刑判決が言い渡されたが、両事件とも控訴審・東京高裁(村瀬均裁判長)が原判決を破棄し、無期懲役を言い渡した(松戸女子大生殺害放火事件[注 71]など2事件[注 72])[193]。
この2事件については、いずれも東京高検が死刑適用を求めて上告し、被告人側も量刑不当や事実誤認を主張し上告していたが、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長 / 鬼丸かおる・山本庸幸両陪席裁判官)は2015年2月3日付でいずれの事件も控訴審判決を支持し、検察官・被告人側双方の上告を棄却する決定を出した[193][188][192]。この際、同小法廷は両事件の決定で「死刑は被告人の生命を奪う究極の刑罰で、慎重に検討し、どうしてもやむを得ないという根拠を具体的に示す必要がある。過去の判例との詳細な比較は無意味だが、不公平にならないよう十分配慮しなくてはいけない」と判断したが[193]、裁判長を務めた千葉は補足意見にて以下のように述べている。
死刑の選択が問題となり得る事案においては、その適用に慎重さと公平性が求められるものであることを前提に、これまでの裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討し、その検討結果を評議に当たっての裁判体の共通認識とし、それを出発点として議論することが不可欠であるとしている。その意味するところは次のようなことであろう。 すなわち、殺人という犯罪行為の特質やそれに対する死刑という刑罰の本質を見ると、圧倒的に重要な保護法益である生命を奪う殺人という犯罪行為に対する量刑上の評価としては、まず被害者の数が注目されるべきであり、死刑の選択上考慮されるべき重要な要素であることは疑いない(もっとも被害者の数を死刑選択の絶対的な基準のように捉えることは適切ではなく、最終的には他の要素との総合考慮によるべきものであることには注意が必要であろう。)。 そのほか、生命という保護法益侵害行為の目的(動機)は、一般に、行為に対する非難の程度に関わるものであり、犯行の計画性は、生命侵害の危険性の度合いに直結するものであり、侵害の態様(執よう性・残虐性)等も究極の刑罰の選択を余儀なくさせるか否かの要素となることは、いずれも、これまでの裁判例が示してきたところである。 さらに、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等も取り上げられ得る要素である。 これらの各要素をどの程度重要なものとして捉えるかは、殺人という犯罪行為の特質や死刑という刑罰の本質という刑事司法制度の根本に関係するすぐれて司法的な判断・考察と密接に関係するものであり、これまでの長年積み上げられてきた裁判例の集積の中から自ずとうかがわれるところである。裁判官に求められるのは、従前の裁判官による先例から量刑傾向ないし裁判官の量刑相場的なものを念頭に置いて方程式を作り出し、これをそのまま当てはめて結論を導き出すことではなく、裁判例の集積の中からうかがわれるこれらの考慮要素に与えられた重みの程度・根拠についての検討結果を、具体的事件の量刑を決める際の前提となる共通認識とし、それを出発点として評議を進めるべきであるということである。このように、法廷意見は、死刑の選択が問題になった裁判例の集積の中に見いだされるいわば「量刑判断の本質」を、裁判体全体の共通認識とした上で評議を進めることを求めているのであって、決して従前の裁判例を墨守するべきであるとしているのではないのである。このことは、裁判員が加わる合議体であっても裁判官のみで構成される裁判体であっても異なるところはない(それが控訴審であっても同じである。)。 — 千葉勝美(最高裁第二小法廷・裁判長)、同小法廷・2015年2月3日付決定 事件番号:平成25年(あ)第1127号[192]
『産経新聞』(産業経済新聞社)は同月7日付の記事で2事件の決定について言及し「死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然だが、裁判員制度は国民を司法に参加させ、その日常感覚・常識を判決に反映させることを目的に導入された。制度の趣旨を生かすためには、先例が現状に即しているかについても議論すべきだろう」[194]「(今回は)裁判員が苦慮を重ねて出した死刑の結論が、過去の集積結果から逸脱した(ことになる)。『国民感覚や常識』と『先例の傾向』が乖離しているなら、その理由・背景について分析・議論することも必要ではないか」と指摘している[195]。
前述の最高裁判所調査官・稲田は死刑と無期懲役の量刑の境界の調査に加え、過去の重大な少年事件における死刑や無期懲役の適用事例についても検討したが、その結果「19歳以上の年長少年が犯した強盗殺人事件で複数の被害者が存在する場合、死刑確定が11人、無期懲役が4人。被害者の数が3人の場合はすべて死刑が適用されている」と結論付けている[196]。
「永山基準」が示された本判決以降に発生した少年事件(死刑求刑事件)の刑事裁判では以下のような結果が出ており、天白郁也 (2013) は「少年事件においては殺害された被害者の数に加え、殺害の計画性・被告人の更生可能性が重要視されている」と結論付けている[197]。太字は死刑確定事件。
刑事裁判の判決文
最高裁司法研修所による研究報告書
書籍・論文など