榊原 千代(さかきばら ちよ、1898年〈明治31年〉7月15日 – 1987年〈昭和62年〉4月28日)は、日本の雑誌記者、教育者、政治家。衆議院議員(2期)、女性初の代議士の一人。旧姓は間野[7]。
経歴
現在の静岡県三島市に生まれる。
1917年(大正6年)、フェリス和英女学校を卒業。1919年(大正8年)、青山女学院英文専門科本科卒業。同年、雑誌「婦人の友」の記者となる。自由学園教授などを経て、1927年(昭和2年)に経済学者の榊原巌と結婚。結婚後、夫とともにドイツとイギリスに留学する。マルブルグ大学(ドイツ)、セリオーク大学(イギリス)等で聴講する。
帰国後、夫・巌が福島経済専門学校(現福島大学経済経営学類)教授に就任したことにより福島県に移り、福島高等女学校で教鞭を執る。
第二次世界大戦後初の選挙となった1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党から立候補して福島1区で当選する。同選挙が男女普通選挙制度を採用した初の選挙であったため、女性代議士第1号の一人となった。
翌1948年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙でも再選し、片山内閣で女性初の司法政務次官に就任した。1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選。
1951年(昭和26年)、国立大学管理法制定委員になる。同年からフェリス女学院理事長、青山学院理事を務めた。そのほか、国際基督教大学の創立委員および同大学評議員、聖光学院院長を歴任[7]。東京家庭裁判所調停委員も務めた。1980年(昭和55年)にキリスト教功労者を受賞[8]。
1987年(昭和62年)4月28日死去。
脚注
参考文献
|
---|
定数4 |
|
---|
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。 |