株式会社東光ストア(とうこうストア、英: TOKOU STORE COMPANY, LIMITED.)は、北海道札幌市に本社を置き、札幌市と北広島市で「東光ストア」の屋号でスーパーマーケットを展開するアークスグループの企業。CGCグループに加盟している。
かつては法人名を株式会社定鉄商事→株式会社札幌東急ストアとしており、じょうてつや東急ストアの傘下で設立された東急グループの企業として営業していた。
1957年12月に買収されて東急グループ入りしていた定山渓鉄道(現・じょうてつ)が1972年(昭和47年)にバス部門の縮小に伴う余剰人員対策としてスーパーマーケット事業に乗り出すことになり[1]、じょうてつが66.6%、東光ストア(現・東急ストア)が33.3%出資して株式会社定鉄商事を設立したのが始まりである[2][3]。
同年10月27日[1]には札幌市豊平区に第1号店・札幌東光ストア木の花店を開設して営業を開始した[2]。
東急グループが北海道で展開していたボウリング場も行き詰まりを見せ始めていたこともあり、1975年12月にオープンした豊平店をはじめ行啓店、北栄店、東急ストア本体が運営していた自衛隊前店はボウリング場跡を利用して開店した(その後行啓通店を除き、建て替えられた)[4]。
東光ストアは、北海道での多店舗展開をめざし完全子会社の北海道東急ストアを1974(昭和49)年7月1日に設立、同年同年10月13日に道内1号店として東急ストア宮の森店を出店した。これは、定鉄商事とは別の流れであった。結果として東急ストアの名称は本州より先に北海道で使われることとなった[3][5]。
1984年(昭和59年)6月に東急ストア直営へ移行した後[1]、1997年(平成9年)4月に当社へ移管される[6]までは同じ東急グループ内で2社が併存する形で営業していた。
1975年(昭和50年)5月には株式会社東光ストアの株式会社東急ストアへの社名変更に伴い[1]、店舗の名称を「札幌東急ストア」に変更した[7][4]。
母体となったじょうてつの地盤である札幌圏にドミナント出店する戦略を採り[8]、1978年10月、現在の平岸ターミナル店の向かいのビルの地下に地下鉄南北線の駅直結1号店を出店した。南北線の地上部分は定山渓鉄道の線路跡を走っている経緯もあり、優位的に地下鉄ラインに出店できたこともあった。
その後、地下鉄東西線が開通、地下鉄駅立地の店舗が商売になるということで、南郷13丁目店、南郷7丁目店を出店。東西線開通時にもそういった事情が生きており、札幌のスーパーマーケットとしては札幌フードセンター(のちのマックスバリュ北海道→イオン北海道)とともに地下鉄駅の近くに多く出店する企業となっていた[4]。
価格よりも品質や鮮度や[9]美味しさを重視した品ぞろえを行い[10]、道内では品質と鮮度の良さで定評のある食品スーパーとの評価を得るようになった[11]。
この頃、事業の多角化も取り組み、1984年にはマイクロバス型の移動販売車を最大4台ぐらい走らせ、郊外の団地向けに展開したこともあった。ネット販売に近いことも手掛け、まだインターネットがない時代に、宅配事業者と組んで電話やFAXで注文を受けて対応していた。1985年にはファストフード事業に参入、ミスタードーナツやモスバーガー、ファミリーレストランも3店舗展開した。
1990年にはホームセンター事業に参入し、「東急アルテ」の店名で展開した。スーパー単独での集客は難しい時代になり、相乗効果を狙って既存のスーパーに付加価値をつける展開を図り、DIY用品だけでなく、パーティー用品やバラエティ商品といったものにも力を入れ差別化を図った。当時の道内のホームセンターは松崎(のちのDCMサンワ→DCM)と石黒ホーマ(のちのDCMホーマック→DCM)の道内大手2社がしのぎを削り、当時国内最大手のビバホームも進出を表明していた。1990年(平成2年)11月1日に1号店の豊平店を東急ストア豊平店に併設する形で出店した[4][12][13]。
1996年7月25日には、同年2月に閉店した北海道スーパーマーケットダイエーが運営していたダイエー藤野店の後を受けて札幌東急ストア藤野店を開店させている[14]。
1998年4月1日には株式会社札幌東急ストアに社名変更した[15]。
社名を札幌東急ストアとする頃に前後して、東急グループ内のスーパーマーケット事業を集約する動きがあった。社名変更直前の1997年4月に、東急ストア直営店舗(元・北海道東急ストアの店舗)宮の森店、北広島店を移管された[6]。1998年には北見バス(現・北海道北見バス)の経営再建策の一環として北見バス興産を整理し、北見バス興産運営の「北見東急ストア」を9店舗中5店舗の営業を譲渡され[16]、この運営に当たってじょうてつとの共同出資により子会社となる株式会社北見東急ストアを設立した[17]。これにより、札幌東急ストアが札幌圏外に店舗を構え、北海道内の東急グループのスーパーマーケット事業を運営することとなった。
1998年10月には札幌東急ストア初となるNSCのあいの里モールを出店した[18]。
2001年は北海道を地場とする百貨店の丸井今井がスーパーマーケット事業から撤退することを受けて、3店舗を譲渡され[19]、4月に札幌東急ストアとしてそれぞれ麻生店、円山店、真駒内店として開店[20]。2003年4月16日には2002年10月16日に閉店したポスフール(当時。元:マイカル北海道)の大谷地サティ[21]の後を受けて開業した複合商業施設の「キャポ大谷地」の大谷地サティの食品フロア部分に該当テナントとして札幌東急ストア大谷地店を出店する[22]など、競合他社が撤退した後に出店を進めるなど、札幌圏での店舗網を拡充していった。
しかし、北見市で「北見東急ストア」を運営していた株式会社北見東急ストアが、競合他社による大型店の進出などにより経営が悪化したことで、札幌東急ストアの完全子会社した後の2003年1月31日に運営していた5店舗すべてを閉店し法人を解散[23]。店舗網は再び札幌圏に縮小することとなった。
2004年10月、当時第二位の株主であった東急ストアと商品調達や物流、人事、システムで業務提携して東急グループの経営資源を活用して競争力強化を目指した[24] 。11月に東京急行電鉄(東急)がじょうてつとじょうてつのグループ会社が保有していた株式を取得し、東急の子会社とした[25]後、2006年2月に東急ストアが東急から株式の50.2%を取得して子会社化する[26]など東急グループ内での再編を進めて強化するテコ入れが行われた[27]。
こうしたグループ再編などを受けて経営が強化され、2009年には北海道のスーパーマーケットでは第4位となった[28]。
2009年10月30日に、東急と東急ストアが保有していた札幌東急ストアの全株式を株式会社アークスに譲渡[28]、設立から長らく属していた東急グループを離れ、アークスグループに入ることになった[29]。東急ストアは首都圏への経営資源を集約する、アークスは北海道におけるグループ強化の戦略によるものであった。これに伴い、設立当初の定鉄商事に出資した東光ストアの社名に変更し、屋号も改めて34年ぶりに「東光ストア」の屋号が掲げられることとなった[29]。
2009年11月5日に法人名を株式会社東光ストアとし、屋号を「東光ストア」とした。東光のローマ字表記は"TOKOU"である。社名の由来は東急の「東」の文字を残し、「光は東から昇る」の意を込め、北海道が日本列島の東端で最初に太陽が昇るのと業績の拡大に向けた思いをかけ合わせたという。「東光ストア」は東急ストアが使用していた商号である。(詳細については東急ストア#百貨店法の制約を避けるために誕生も参照)
東急グループからアークスグループに代わってから、ポイントカード・クレジットカードは東急グループの「TOP&カード」からアークスグループの「RARAカード」となった。ロゴの字体・毎月9日が東急デーを引き継いだ特売日「東光デー」であるなど、札幌東急ストア時代と変えていない部分がある。また、殆どの店舗の看板は、漢字表記ならば「急」→「光」、ローマ字表記ならば「Y」→「O」の一文字のみの書き換えとなっている。
同じアークスグループのラルズとは商圏が被り、競合関係にあるが、客の年齢層、品揃え、価格に特徴があり、グループ入りする前から、棲み分けをしている[4]。
調剤薬局と雑誌書籍コーナー、レンタルビデオなどを併設した店舗があった。単独の運営店舗ではなく、東急ストア南郷7丁目店・南郷13丁目店のサブストアとして営業していた。現在はいずれも閉店。 ※南郷13丁目店は正式には新旧表示は無いが本項目上の識別のために新旧を表示する。
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