本望 信人(ほんもう のぶひと、1977年4月1日 - )は、日本のプロボクサー、プロボクシング・トレーナー。出身は新潟県であるが、育ちは埼玉県さいたま市である。第39代日本スーパーフェザー級王者。第33代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。角海老宝石ボクシングジム所属。
大宮商業高校卒業から1年後の1996年3月4日にオサムジム所属で18歳でプロデビュー。同ジム所属当時は「パワフル本望」のリングネームで活動していた。1999年にはA級トーナメントで優勝、2000年にはアメリカ合衆国に遠征して3試合に出場(2勝1敗)するなど多彩なキャリアを積んだが、同年から翌年にかけてオサムジムと衝突し、移籍に関するトラブルで1年を棒に振る。
2001年、角海老宝石ジムに移籍して活動を再開し、2002年8月24日にはキンジ天野に判定勝ちして空位の日本スーパーフェザー級王座を獲得した。同タイトルの防衛は2005年10月に返上するまで8度を数え、2006年5月20日にはジムレックス・ハカを判定で降して空位のOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得、同年11月には村上潤二を9R負傷判定で降して初防衛を果たした。
2007年5月3日にエドウィン・バレロの保持するWBA世界スーパーフェザー級王座に挑戦。大いに健闘するも、バレロのパンチで右目付近の古傷を大きく切り裂き、ドクターストップでTKO負け。しかしバレロと対戦して立ったまま試合終了のゴングを聞いた初めての選手となった。同日引退を表明。約11年間のプロ生活だった。
現在は、埼玉県さいたま市に「本望ボクシングジム」を開き、市民にボクシングを教えている。
また、柔道整復師の資格も取得しており、大宮市に整骨院を開業している。
長女の彩華はかつて日本コロムビアに所属して「本望あやか」の芸名でアイドル活動をしていた[1]が、現在トレーナーとしてジム手伝いをしている[2]。
2002年8月24日 - 2005年10月21日(返上)
2006年5月20日 - 2007年4月(返上)
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