戦没将兵追悼記念日(せんぼつしょうへいついとうきねんび、英語: Memorial Day、メモリアルデー)とは、アメリカ合衆国の連邦政府の定めた祝日で、5月の最終月曜日である。戦没将兵記念日(せんぼつしょうへいきねんび)、戦没者追悼記念日(せんぼつしゃついとうきねんび)、などとも呼ばれる。かつては、「デコレーション・デー(Decoration Day)」として知られていた。
一部の米国人は、戦没将兵追悼記念日を非公式な夏の始まり、レイバー・デーを非公式な夏の終わりとみなしている。自動車事故やその他の安全に関する事故が起こりやすいシーズンが始まることを考慮して、国のシートベルト着用 (Click it or ticket) キャンペーンが戦没将兵追悼記念日の週末から始まる。アメリカ空軍の「夏の重要な101日 (101 Critical days of summer)」もこの日に始まる。一部の米国人は、戦没将兵追悼記念日の週末を兵士のみならず死去した家族を悼むこともしたりする。戦没将兵追悼記念日に先立つ日曜日のキリスト教の教会(アメリカ合衆国の現代キリスト教)の礼拝式では、過去1年間に死去した信者の名前の朗読が行われることもある。
戦没将兵追悼記念日は、かつては「5月30日」であった。日付に重要性はないが、退役軍人会(Veterans of Foreign Wars、VFW)や南北戦争北軍退役軍人会(Sons of Union Veterans of the Civil War、SUVCW)のような一部の団体は、固定された日に戻すことを主張している。退役軍人会は、2002年の戦没将兵追悼記念日の演説で「単に3連休にするために日付を変えることは、戦没将兵追悼記念日の意義を弱める。疑いもなく、このことが大衆の戦没将兵追悼記念日に対する無関心の大きな原因となっている。」と述べた。 ハワイ州の日系アメリカ人上院議員ダニエル・イノウエは、第二次世界大戦に兵士として従軍経験があるが、1998年以来、戦没将兵追悼記念日を伝統的な日に戻す方法を繰り返し発表している。
ローガンは、1866年4月29日、イリノイ州カーボンデールの墓地で行われた市を挙げての記念祝典の主講演者であった。おそらくその日を国民の祝日にするというアイデアが彼の頭に浮かんだのはこのイベントである。1868年5月5日退役軍人の団体、グランド・アーミー・オブ・ザ・リパブリック(Grand Army of the Republic)の長という立場で、ローガンは「デコレーション・デー」を全国的に祝うべきであるという声明を発表した。そして同じ年の5月30日に初めて祝われることとなった。その日が選ばれたのは、それが戦闘の記念日ではなかったからである。北軍兵士の墓はこの日を祝って飾られた。
ホワイトハウスリメンバランス委員会(White House Commission on Remembrance)には、閲覧者が無料で視聴できる歌曲をホームページNational Moment of Remembrance Home Page.上で公開している。『葬送ラッパ』だけでなく、チャールズ・ストラウス(Charles Strouse)の『オン・ディス・デー』(On This Day)の様々な演奏をダウンロードできる。他の多くの人々も戦没将兵追悼記念日のために作品を提供しており、その中には有名な歌や詩も含まれる。
1918年、この詩にインスパイアされたYWCA(英語版)で働いていたモイナ・マイケル(英語版)は、シルクのポピーを留めたコートを着てYWCA Overseas War Secretariesのカンファレンスに参加し、20個以上のポピーを他の参加者に配布した。1920年、National American Legionは、このポピーを記念日の公式のシンボルとして採用した[2]。