『戦後猟奇犯罪史』(せんごりょうきはんざいし)は、1976年公開の日本映画。東映京都撮影所製作、東映配給。併映『脱走遊戯』(主演:千葉真一、監督:山下耕作)。
戦後、実際に起きた猟奇事件を再現したオムニバス映画[1][2][3]。西口彰事件、克美しげる事件、大久保清連続殺人事件の三つの事件を描く[1][3]。内容はほぼ史実通りだが、犯人役及び事件関係者は実名をもじった名前になっている[1]。主演は室田日出男・五十嵐義弘・川谷拓三。
企画は当時の東映社長・岡田茂[4]。当初のタイトルは『ドッキリ昭和猟奇犯罪史』であった[5]。当時非常に高い人気だった日本テレビの『ウイークエンダー』を真似ろと岡田が指示した[2][4]。人気ドラマが映画化されたり、ヒット映画がテレビドラマ化されたりするケースは多いが、本作は映画がテレビをパクる、情報番組/バラエティ番組をパクるという珍しい事例である[4]。『ウィークエンダー』風のセットで泉ピン子がリポーターとなり、3つの有名な猟奇事件を紹介していく『ウイークエンダー THE MOVIE』である[6]。監督の牧口雄二は「中身は深作タッチのつもりで作ったのに、組み合わせが異質。泉ピン子は止めて欲しい」と頼んだがダメだったと話している[6]。また当初は「西口彰事件」と「大久保清連続殺人事件」の2話構成だったが、撮影2日前に「克美茂愛人絞殺事件」が発生し、岡田社長が「この事件も入れろ」と命令し無理やり3話構成になった[2][6][7]。急な指示で時間もなく第2話は脚本を一晩で書き上げ、撮影時間も短く尺も短くいびつな構成となった。「西口彰事件」は本作が最初の映像化といわれる[4]。牧口は「大久保清だけで一作通したらよかった」と話している[2]。
第3話で川谷拓三が女子大生役の内村レナをレンゲ畑で強姦するシーンは、川谷に「本気で襲うように」と大体の段取りだけ指示して撮った一発撮り[6]。しかし若い内村に川谷が追いつけなくなり NG。琵琶湖畔での撮影で、破った服の替わりがなく「往復すると2時間かかります」と言われ仕方なくNGシーンを採用した。
日本映画は古くから実録犯罪に材を取ったエクスプロイテーション映画を製作してきた[6][8][9]。1932年に帝都を震撼させた玉の井バラバラ殺人事件は、犯人逮捕直後に四社よる競作になったといわれる[8]。東映は大手映画会社で最も積極的に実録犯罪映画に手を出した[8]。東映の実録犯罪映画史は、東映東京撮影所と東映京都撮影所で異なる流れがあり、東京撮影所では「警視庁物語シリーズ」から派生した吉展ちゃん誘拐殺人事件を描いた『噫(ああ)!吉展ちゃん』(1965年)や『一万三千人の容疑者』(1966年、監督:関川秀雄)から始まるものと、岡田茂が京都撮影所長時代に始めた東映ポルノ路線の阿部定本人を引っ張り出したことでも知られる『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(1969年、監督:石井輝男)を皮切りとしたものがある[6]。1973年から低予算の「東映ニューポルノ」が始まると多くの実録犯罪映画が製作された[8]。本作はその決定版といえる[8]。
伊藤俊也は「猟奇犯罪史」というのは岡田社長から持ち出された企画と述べている[10]。伊藤が1975年に鬼熊事件を題材に「ひとよんで鬼熊」というシナリオを深町秀煕と澤井信一郎の共同で書き、岡田社長に提出したが[10][11]「これはウチでやる映画じゃない。ATGを紹介してやる」と言われ企画は通らず[10]。その後モデル問題が色々起こり映画化されなかったという[11](シナリオのみ『キネマ旬報』1975年11月下旬号に掲載)。
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