心(しん[1]、巴: 梵: citta チッタ)とは、仏教における心概念。学派・宗派によってその内容は諸説分かれる。一般に、知性・感情・意志などの総称として用いられ、もの(色法)や身体とは区別されると考えられている[2]。また、意識下の心、深層心理が説かれる場合もある[2]。語源的には、種々の(梵: citra)対象を認識するからとも、集める(梵: cinoti)からとも解釈される[3]。
パーリ仏典ではcittaと重複して用いられる語として、意(Manas)、識(Vijñāna)が存在し、これらは一般的な意味の「心」として使われることもあれば、心所(cetasika)を指すこともある[4]。
上座部仏教(分別説部)の『アビダンマッタサンガハ』では、心(citta)を三界(欲界・色界・無色界)や四向四果に沿って、89に分割して説明する。
Tattha cittaṃ tāva catubbidhaṃ hoti kāmāvacaraṃ rūpāvacaraṃ arūpāvacaraṃ lokuttarañceti1 心には、欲界、色界、無色界、出世間の四種類がある。 —アビダンマッタサンガハ 第2章 摂心分別 [5]
Tattha cittaṃ tāva catubbidhaṃ hoti kāmāvacaraṃ rūpāvacaraṃ arūpāvacaraṃ lokuttarañceti1
心には、欲界、色界、無色界、出世間の四種類がある。
説一切有部では、一切法を五位七十五法で分類する。そこでは心法(しんぼう、しんぽう)[6]と色法を全く別の存在とし[2]、根(認識器官のこと。六根)、境(認識対象のこと。六境)、識(認識主観のこと。六識)を厳密に区別した[2]。
種々ある心や心作用が複数組み合わさっておきるところに多様な心理があると解し、その中で中心となり、全体を捉える[7]ものを心王(しんのう)とよび、それと共におこる個々の心作用を心所(しんじょ、梵: caittaまたは梵: caitta[8])または心所有法(しんじょうほう[9])という。心王は(五蘊のうち)識にあたる[3]。心王に1種(六識一体[3])、心所に46種、また心不相応行(法)として14種、無為(法)として3種、合計75種を挙げ、五位七十五法と呼ぶ[10]。
一つの心(心王)が種々に作用する(心所と心王とは別に存在しない)と解する[3]。
唯識派では、色法も識(三科を参照。)が現し出したものとして、心の中に摂めている[2]。唯識派・法相宗の『成唯識論』では、心(citta)を
の「六識」ṣaḍ vijñānaに、
を加えた「八識」の8心法(心王[3])として表現する。また、心所は51が挙げられている[3]。
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