岡村 輝彦(おかむら てるひこ)は、明治期の日本の判事、弁護士。浜松藩出身。鶴舞藩貢進生として開成学校に学び、ロンドンに留学してミドル・テンプルでバリスターの資格を得た。帰国して東京控訴院・大審院判事、横浜始審裁判所長を務めた後、辞官して弁護士として活動し、千島艦事件で弁護を行った。東京弁護士会会長、中央大学学長も務めた。
安政元年7月20日[1]、同年12月20日[2]、安政2年7月2日[3]又は同年12月20日[4]、浜松藩士岡村義昌の子として大坂蔵屋敷に生まれた[1]。外祖父東園基貞により東園家の通字「基」から基之助と名付けられたが、後に光之助と改め[2]、14,15歳頃輝彦と名乗った[1]。
7歳の時、祖父岡村義理、父義昌が国元浜松に幽閉となり、家は困窮した[1]。藩校克明館に入学したが、開明的な祖父・父の方針で漢学は深く学ばず、『坤輿図識』『環海異聞』『三航蝦夷日誌』『高田屋嘉兵衛魯西亜物語』等を読んで海外事情を学んだ[1]。
元治元年(1864年)天狗党の乱に対し、槍を持って大砲掛の父に従い、三ヶ日に警護した[5]。
明治元年(1868年)9月浜松藩は鶴舞藩に転封され、2月一家で上総国鶴舞に移った[6]。
明治2年(1869年)父に従い上京し、箕作秋坪に外国語を学んだ[1]。明治3年(1870年)賀古鶴所と共に鶴舞藩貢進生に選ばれ、大学南校に入学し、明治7年(1874年)開成学校英吉利法律科に進んだ[1]。
貢進生時代はナポレオンを尊敬し、また好んで北海道開拓を論じたため、岡村ナポレオン、岡村北海と渾名された[7]。
1876年(明治9年)6月第2回文部省留学生として渡英し、10月ミドル・テンプルT・D・C・アトキンス[8]に法学を学び、11月キングス・カレッジ・ロンドンに合格し、ミドル・テンプルに入学した[4]。
留学当初は鷹揚な性格で、メンドイズムの哲学者などと自称していたが、留学中に勤勉な性格に変わり[9]、試験勉強にのめり込むあまり神経衰弱、脳貧血を発症した[10]。露土戦争中はオスマン帝国を支持し、フェズを被ってロンドンを闊歩した[9]。
1880年(明治13年)1月法曹院試験に合格してバリスターとなり[4]、2月高等法院女王座部(英語版)代議員となった[4]。新政府で出世した父から支援を受けて巡回裁判所にも参加し[11]、海事裁判所(英語版)で海事法の実務も学んだ[4]。
1881年(明治14年)2月帰国し、6月司法省民事局雇となり[4]、麹町区上六番町42番地の父の仮宅隣の茶畑畔に住んだ[13]。10月東京控訴院判事に就任した[4]。
1883年(明治16年)1月大審院に入り、3月刑事局に配属された[4]。大審院では長野県上高井郡奥山田村、中山村、牧村の間で争われた日影山境界争論一件に関わり、中村元嘉と現地の山奥に入り、村民の懐柔工作に耐えながら実検を行った[14]。
1885年(明治18年)7月英吉利法律学校設立者に名を連ね[15]、証拠法を教えた[16]。8月横浜始審裁判所長に就任し[4]、イギリスに倣い代言人の地位向上に努めた[4]。当初官舎に入ったが、後に神奈川台町に移り[17]、余暇には上京して高等文官試験委員、東京法学院・明治法律学校講師を務めた[18]。
1891年(明治24年)3月裁判所を辞職して代言人となり、京橋区南鍋町に加え[1]、横浜在住の外国人の要請で横浜にも事務所を設けた[19]。
1890年(明治25年)第2回衆議院議員総選挙に神奈川県第2区と東京府第11区から出馬を要請されたが、辞退した[20]。
1892年(明治25年)千島艦事件が起こると、イギリスで海商法を学び、政府顧問ウィリアム・カークウッドと知遇のあった輝彦が担当を任され、横浜英国領事裁判所の法廷に立った[21]。上海英国高等領事裁判所でカークウッドが敗訴すると、1894年(明治27年)ロンドン枢密院に出張し[1]、勝訴して1895年(明治28年)4月帰国した[1]。また、在英中に日清戦争が開戦したため、新聞・雑誌で日本擁護の論陣を張った[1]。
1908年(明治41年)東京弁護士会会長に選ばれた[1]。1910年(明治43年)豊多摩郡千駄ヶ谷町大字穏田字源氏山173番地に転居した[22]。
1912年(大正元年)頃肺気腫性喘息に罹り、歩行時の呼吸が困難となったため、弁護士を閉業し、療養生活に入った[1]。1913年(大正2年)中央大学学長に就任したが、業務困難のため間もなく辞し、普段は千駄ヶ谷町の自宅に籠り、夏・冬は鎌倉紅ヶ谷の別荘に滞在する生活を送った[1]。
1915年(大正4年)12月暮風邪に罹り、青山胤通、入沢達吉、宮本叔等の診療を受けたが[1]、胃潰瘍を併発し、1916年(大正5年)2月1日午後1時25分千駄ヶ谷町の自宅で死去し[23]、4日駒込吉祥寺に葬られた[1]。戒名は大哲院殿高歩自在大居士[1]。
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