山口 節生(やまぐち せつお、1949年〈昭和24年〉9月26日 - )は、日本の政治活動家で、コンサルタント業、不動産業、実業家である。元・高等学校教員で元・信託銀行員。佐賀県出身。
経歴
1949年、佐賀県に生まれる。佐賀県立佐賀西高等学校、一橋大学商学部を卒業し、東京大学経済学部に学士入学して卒業。
1974年4月、三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)に入行。その間、中央大学法学部二部法律学科に学士入学して卒業。三菱信託銀行では不動産鑑定業務に携わった。1977年、三菱信託銀行を退職。地元佐賀に帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。その後、佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭、佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭を務め、1986年に高校教諭を退職。上京する。
1990年に不動産鑑定士資格を取得。不動産鑑定業務などを主とする有限会社日本経済研究所[1]を設立し、代表取締役社長となる。1993年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了。翌年には日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程に入学し、1997年、指導認定満期退学。
2012年12月、駐車違反の供述調書を破ったとして公用文書毀棄罪で逮捕された。2014年1月にさいたま地方裁判所から懲役8月の実刑判決を受け、2015年4月に最高裁判所において上告が棄却され、実刑が確定した[2][3]。
政治活動
不動産鑑定士を務める傍ら、1991年の佐賀県知事選挙への立候補を皮切りに、山口が在住する埼玉県を中心に国政選挙などに立候補し続けている。出馬したこれまでの選挙では、2007年東京都知事選挙での「カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会」のように自身が代表を務める政治団体からの出馬が数多くある。これまでの選挙のほとんどで供託金を没収されているが、2011年の埼玉県議会議員選挙で唯一供託金が返還された。
実際に立候補した選挙以外にも、2011年埼玉県知事選挙や2014年東京都知事選挙のように直前まで出馬する準備を進めていた選挙も数多くあるが、それらの選挙では資金不足などを理由に出馬意向の撤回を行っている。
1998年の第18回参議院議員通常選挙では、大宮ソニックシティの大ホールで個人演説会を行ったが、定員約2500人の同ホールに観衆は大川豊ただ1人だけだった。この模様は大川の著書『日本インディーズ候補列伝』[4]の付録DVDに収載されているが、約3時間の演説中に人の出入りがなかったことから、遠景を撮影した画面では「これは静止画ではありません」というテロップが流れるほどだった。
2015年4月に行われたさいたま市議選において立候補し、期日前投票が進んでいたが、懲役8か月の実刑確定、懲役刑期満了まで公民権停止となったことが判明した[5]。公職選挙法では「禁錮以上の刑に処せられ執行を終わるまでの者」は公民権がないと定めており、4月3日の立候補届け出時点では被選挙権があったが、判決確定により被選挙権を喪失した。このため同10日、市選管は山口に被選挙権がないとの理由で立候補の届け出を却下した[6]。供託金は没収。期日前投票で山口に投じられていた票は無効となった。
出所後は、国政・首長選挙への出馬を表明し記者会見を行いながら告示(公示)日には届け出を行わないという行動を繰り返す一方で、地方議会議員選挙には実際に立候補することを再開している。2019年4月のさいたま市議会議員選挙(南区)と2023年4月の埼玉県議会議員選挙(南20区 戸田市)に立候補するもいずれも落選し、供託金没収となった。
過去の選挙結果
- 国政選挙
- 都道府県知事選挙
- 都道府県議会議員選挙
- 区市町村長選挙
年 |
選挙 |
政党 |
得票 |
得票率 |
惜敗率 |
順位 |
供託金 |
肩書
|
2001年5月27日 |
さいたま市長選挙 |
無所属 |
2,015 |
0.55% |
1.53% |
8/8 |
没収 |
|
2002年2月3日 |
岩槻市長選挙 |
無所属 |
1,365 |
4.12% |
5.84% |
3/3 |
没収 |
|
2014年1月26日 |
深谷市長選挙 |
哲学者カントの「永遠平和のために」の理想に従い 軍備放棄の継続及び女王陛下を容認する連絡会 |
1,974 |
5.85% |
6.21% |
2/2 |
没収 |
小説作家
|
- 区市町村議会議員選挙
立候補を表明しながら届出を行わなかった選挙(2016年以降)
- 国政選挙
- 都道府県知事選挙
- 区市町村長選挙
脚注
外部リンク