……ソ連の権力はヒトラーのドイツにおけるそれとは異なり、体系的でも冒険的でもない。それは、決まった計画によって動く訳ではない。無用な危険を冒す訳でもない。理性の論理には鈍感だが、力の論理には極めて敏感である。従って、どこかで強い抵抗に遭えば容易に撤退し得るし――大抵はそうするのである。 — ジョージ・ケナン、The Long Telegram
ケナンの電報は、国務省内で「長らく求めていた状況認識」として歓迎された[4]。
ケナン自身はこの熱烈な歓迎について、時宜を得たことによるものと考えていた。「6か月前なら、この文書もおそらく国務省では顔をしかめられて、闇に葬られてしまうのが落ちであったろう。6か月後だったら、それはもうよけいな論議、いわば坊主に説教の扱いを受けていたかもしれない」[5]。
クラーク・クリフォードとジョージ・エルゼイは長文電報について詳述し、その分析に基づく具体的政策勧告を提案する報告を執筆した。ソ連の影響力を「抑制・制限する(restraining and confining)」ことを勧告するこの報告は、1946年9月24日にトルーマンに提出された[6]。
『ザ・フェデラリスト』第28篇にもあるように、「用いられる手段は、損害の程度に比例しなければならない」。損害は地球規模の戦争かもしれないし、限られた目的のためのソ連の運動であるかもしれない。いずれにせよ我々は、絶滅戦争に繋がりかねない行為を回避できるのであり、そのような行為を率先して行ってはならない。また、もしもソ連の限られた目的への衝動を打破する軍隊を我々が有しているのなら、それを地球規模の戦争にさせないことこそが我々の利害となるであろう。 — United States Objectives and Programs for National Security[18]
1964年の大統領選挙時の共和党候補バリー・ゴールドウォーター上院議員は封じ込めを批判し、「何故勝たないのか("Why not victory?")」と問うた[23]。ジョンソン大統領(当時民主党候補)は、巻き返しを行えば核戦争の危険が生ずると答えた。ジョンソンは、聖書を引用して封じ込めの理念を説明した。 「ここまで来てもよい、越えてはならぬ」[24]。選挙の結果、ゴールドウォーターはジョンソンに大敗した。ベトナム戦争中、ジョンソンは封じ込めを堅持した。ジョンソンは、米国の地上軍をラオスに進軍させて共産主義の補給線を切断すべしと説くウィリアム・ウェストモーランド陸軍大将の提案を拒絶し、ザ・ワイズ・メンと呼ばれる長老政治家らの一団を集めた。この中には、ケナン、アチソンなど、かつてトルーマンの顧問を務めた人物がいた。愛国的反応が勝利と巻き返しへの要求に繋がるとの懸念から、軍を支持する集会は妨害された[24]。軍事的責任は3人の将軍間で分担された。これは、マッカーサーがトルーマンを批判したように、強権的戦域司令官が現れてジョンソンを批判するといった事態を防ぐための措置であった[25]。
ベトナムで共産勢力が勝利したのを受けて、民主党が共産主義のさらなる前進は避けられないと考え始めたのに対し、共和党は巻き返し政策に回帰した。巻き返しを長年主張してきたロナルド・レーガンは、1980年に米国大統領に選出された。デタントは誤りであり、平和共存は降伏に等しいと考えていたレーガンは、より攻撃的な対ソ政策を展開した。ソ連が1979年にアフガニスタンに侵攻した際、米国の政策立案者らは、ソ連がペルシャ湾支配に向けて突き進んでいることを懸念した。
レーガン・ドクトリンとして知られるようになった政策の下、米国は1980年代を通じて、ソ連軍と戦うアフガニスタンのゲリラに技術的・経済的援助を供与した[26]。アフガニスタンやアンゴラ、カンボジア、ニカラグアの反共反乱軍に軍事援助を供与することによって、彼は既存の共産政権と対決し、封じ込めの理念の範囲を超えた。彼は、米国に向けて発射されるミサイルを撃墜するために戦略防衛構想(批判者らはこれを「スター・ウォーズ」と呼んだ)の研究を進め、パーシングIIミサイルを欧州に配備した。レーガンの狙いは、ソ連にはできないほどの巨費を投じた軍拡を通じて、ソ連を圧倒することであった。しかしレーガンは、一部の重要地域では封じ込めの理念を踏襲した。彼は、START I と呼ばれる包括的核軍縮構想や、NATOを基礎とする国防政策を強調するために続けてきた対欧政策を続行した。
^John R. Lampe , Russell O. Prickett, Ljubisa S. Adamovic (1990). Yugoslav-American economic relations since World War II. Duke University Press Books. p. 47. ISBN0-8223-1061-9
^James I. Matray, "Truman's Plan for Victory: National Self-Determination and the Thirty-Eighth Parallel Decision in Korea," Journal of American History, Sept. 1979, Vol. 66 Issue 2, pp. 314-333, in JSTOR
^Olson, James Stuart. Historical dictionary of the 1950s. Westport, Conn: Greenwood P, 2000.
関連文献
Corke, Sarah-Jane. "History, historians and the Naming of Foreign Policy: A Postmodern Reflection on American Strategic thinking during the Truman Administration," Intelligence and National Security, Autumn 2001, Vol. 16 Issue 3, pp. 146–63
Hopkins, Michael F. "Continuing Debate And New Approaches In Cold War History," Historical Journal (2007), 50: 913-934 doi: 10.1017/S0018246X07006437