宮脇 磊介(みやわき らいすけ、1932年(昭和7年)1月2日 - 2014年(平成26年)2月9日[1])は、日本の警察官僚。元皇宮警察本部長。元内閣広報官(初代)。NTT元特別参与[2]。電通元顧問[2]。
父は最後の官選埼玉県知事を務めた宮脇倫。長男は日本フェンシング協会元専務理事の宮脇信介。孫はフェンシング(フルーレ)選手の宮脇花綸。
東京都出身。宮脇倫の長男として生まれる[3]。1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業後、警察庁入庁[4]。静岡県警本部長、皇宮警察本部長などを経て、1986年(昭和61年)新設された内閣官房内閣広報官に就任[4]。中曽根康弘、竹下登両総理に仕える[4]。
1988年(昭和63年)に退官後、NTT特別参与、電通顧問を経て、1995年(平成7年)より世界の組織犯罪等をテーマに評論・著述活動を開始[2]。その後、宮脇磊介事務所代表、重要インフラ対策委員会特別参与などを務めた[2]。
2014年(平成26年)2月9日午前、多臓器不全のため東京都新宿区の病院で死去[1]。
趣味はスポーツ、囲碁(六段)[3]。
警察官僚時代は三里塚闘争・土田・日石・ピース缶爆弾事件・あさま山荘事件など、過激派対策に追われた[5]。中曽根内閣時代の1986年に、内閣官房再編により、新設された内閣官房内閣広報官室の初代内閣広報官(兼第13代内閣総理大臣官房広報室長)に就いた。
のちのバブル崩壊について、不良債権総額200兆円のうち60兆円がヤクザ絡みだと指摘し、「ヤクザ・リセッション」を造語した。
著書に『騙されやすい日本人』(新潮社、のち新潮文庫)、『サイバークライシス 「見えない敵」に侵される日本』(PHP研究所)。また朝日新聞大阪本社経済部編『なにわ金融事件簿』(かもがわ出版)に作家高村薫との対談がある。
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