宮崎村(みやざきむら)は、かつて愛知県額田郡にあった村である。
額田町の北東部に該当し現在の岡崎市の北東部の宮崎町、中金町、明見町、大代町、石原町、東河原町、雨山町などに該当する。
沿革
学校
- (→1956年に額田町立宮崎中学校→1973年に額田町立下山中学校、額田町立形埜中学校、額田町立豊富中学校とともに岡崎市立額田中学校に統合)
- (→1956年に額田町立雨河小学校→2006年に岡崎市立大雨河小学校→2010年に岡崎市立宮崎小学校に統合)
- (→1956年に額田町立千万町小学校→2006年に岡崎市立千万町小学校→2010年に岡崎市立宮崎小学校に統合)
- (→1956年に額田町立宮崎小学校→2006年に岡崎市立宮崎小学校)
寺社
神社
寺院
- 傳正院(明見)
- 少林寺(明見)
- 林端寺(宮崎)
- 聞桂寺(宮崎)
- 端雲寺(石原)
- 法林寺(中金)
- 正泉寺(大代)
- 高雲寺(河原)
- 財泉寺(河原)
- 菩提院(雨山)
- 東向寺(木下)
脚注
注釈
- ^ 住民の嘆願による変更。隣接して巴村(後の作手村の一部。現・新城市)があり、紛らわしいことが理由という。
- ^ 旧・千万町村、木下村。栄枝村の残部(旧・夏山村)は豊富村に編入。
- ^ 下山村のうち、田代、田折、蕪木、蘭村東加茂郡下山村へ編入。
出典
- ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
- ^ 森田真奈子「わたしが編集長 (59) 額田の偉人 山本源吉翁」 『中日新聞』2017年3月19日付朝刊、西三河版、18面。
- ^ 『額田町史』 額田町史編集委員会、1986年11月1日、485頁。
関連項目