宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日[1][2] - 2011年1月11日[2][3])は、日本の仏教学者・インド哲学研究者。名古屋大学名誉教授[4]。真言宗智山派管長[4]、総本山智積院化主[4]。
1921年、長野県岡谷市で生まれた[1][2]。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制智山専門学校(現・大正大学)を経て[2]、東北大学法文学部印度科に進学。1948年に卒業し[1][2]、同大学大学院に進んだ。1954年、博士課程を中退[1]。
1954年、高野山大学助教授に就いた[1][2]。1957年、学位論文『インド仏教の認識論:とくにPramanavarttika(英語版)を中心として』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得[5][1]。1965年、高野山大学教授に昇格[1][2]。1967年、高野山大学を退職して真言宗智山派照光寺住職(~1995年)となった[2]。1977年、名古屋大学教授に就任[1][2]。1984年、同大学を定年退職し[1]、翌1985年に名古屋大学名誉教授となった。
その後は1987年より智山伝法院院長。1999年、真言宗智山派管長・総本山智積院化主[2]。2001年、種智院大学学術顧問[要出典]。2005年、後七日御修法大阿、真言宗長者となった[要出典]。
2011年1月11日、肺炎のため長野県岡谷市の病院で遷化[3]。89歳没[3]。
専門は真言密教・インド哲学。渡辺照宏を師とし、初期はダルマキールティ、ニヤーヤ学派などインド論理学の研究を行い、東トルキスタン出土の梵本断片、百万頭陀羅尼を解読した。密教学・空海関連を主として多数の編著・著書がある。特に『弘法大師空海全集』(全8巻、筑摩書房)では監修者を務めた。総本山智積院化主(真言宗智山派管長兼任)を務めた後は、郷里に戻り照光寺の長老となる。