天津 敏(あまつ びん、1921年2月16日[1] - 1979年7月24日)は、日本の俳優。本名は天都 敏[1](あまつ とし、旧姓:佐藤)。身長182cmの体格、ドスの利いた声、鋭い眼光などを活かし、映画・テレビドラマで悪役・敵役スターとして活躍した。宮城県[1]桃生郡河南町(現・石巻市)出身。
両親および兄弟はすべて教員という一家に育つ。歌と水泳が得意な少年だったという[2]。宮城県師範学校を卒業後、教職に就く[1]。戦時中は海兵団で少年兵の教官の職にあった[3]。1944年に結婚、婿養子となり姓を天都(あまつ)とした。戦後は教職から離れ、鎌倉の夫人の実家の工場を手伝い、水道工事などの仕事をしていた[1][3]。戦後、教職を離れたのは、戦前と正反対の教育をすることはできないという理由であった[1][3]。鎌倉に居を構えた1953年に、32歳で東宝ニューフェイスとして映画界入りした[2][3]。東京映画制作の作品では端役ばかりだったが、1955年にTBSのオーディションに合格し、テレビ黎明期の生放送時代劇に出演し始める[4]。
1959年のテレビドラマ『豹の眼』を皮切りに宣弘社制作のテレビ作品で主に悪役として活躍する[3]。忍者ブームを巻き起こしたテレビドラマ『隠密剣士』でも第1部から出演しているが、1963年の第5部で演じた風魔小太郎が初の当たり役となった[4][2]。1964年には映画『忍者狩り』で演じた敵方の頭目・闇の蔵人が、映画『隠密剣士』を手がけたプロデューサー・俊藤浩滋や監督・マキノ雅弘の目に止まる[注 1]。任侠映画にも起用され始め敵役の常連となり、アクション映画では千葉真一の『激突! 殺人拳』(1974年)や志穂美悦子の『必殺女拳士』(1976年)などで主人公を追い詰める強敵・難敵を演じている[2]。時代劇でも悪役スターとして数多くの作品に出演しており、テレビドラマ『水戸黄門』第5部(1974年)の鉄羅漢玄竜、『仮面の忍者 赤影』第1部・第2部(1967年)の甲賀幻妖斉などが代表的な悪役・敵役である。
対照的に善人役では映画『黒い画集 ある遭難』(1961年)の両脚を失った陽気な登山家、『喜劇 駅前弁当』(前同)の優しい駅員、『日本大侠客』(1966年)の主人公に協力的な博徒、『五人の賞金稼ぎ』(1969年)の一揆で直訴する百姓、テレビドラマ『快傑ハリマオ』第5部(1961年)でハリマオの仲間で正義感あふれる熱血漢・村雨五郎、『火の国に』(1976年)ではヒロインを陰に陽に支える好人物・長谷川社長に扮するなど[注 2]、悪役・敵役に留まらず幅広い役柄を演じた。
1979年6月、脳内出血に倒れ、7月24日、心不全で死去。58歳没。1981年に欧米で封切り公開された映画『武士道ブレード』が遺作となった。
『赤影』で共演した青影役の金子吉延は「怖い顔してるけど、すごく優しい人だった」と思い出を語っている[6][7]。宣弘社のプロデューサーだった野木小四郎も「とにかく温厚で、全く怒ったりしない。スタッフでも天津さんのことを悪く言う人などいなかった」と評している[8]。
『赤影』で共演した赤影役の坂口祐三郎によると、天津は甲賀幻妖斎では楽しそうにメイクしていたとのことで「第2部 まんじ党編」ではメイクや髪形を変え、かなり遊びの要素を入れていた[9]。金子も天津が幻妖斎役を気に入っていたと証言しており、赤影に倒されるシーンのテストでは「もっと出たい」というアドリブを入れていたという[7]。
Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!