| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "坂本新兵" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年8月) |
坂本 新兵(さかもと しんぺい、本名・佐藤 親広、1935年4月16日[3] - 1996年6月30日)[1]は、日本の俳優、声優、歌手。別名:トシゴロ亭ニキビ。愛称はシンペイちゃん。
人物
東京都出身。私生児として生まれたこともあって、青年期に荒れた生活を送った時期があると言われるが、立ち直って俳優となった。自らの経験を無駄にしないため、俳優として活躍していた時期から、犯罪を犯した少年を導く保護司として活動を行っていたことは広く知られている。
フジテレビ系の子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』などで「シンペイちゃん」と呼ばれお茶の間の人気者となる。
来歴
1935年(昭和10年)、東京都新宿区で生まれる。私生児として生まれるが、取り上げてくれた産婆がそれでは可愛そうだと、形だけ自分の戸籍に入れてくれた。本人はそれを知らず、実母と母一人子一人の暮らしをしていたが、産婆が亡くなったことで初めて知ることになる。小学3年生の頃、実母が結婚したことを機に、養子という形で実母の戸籍に入る。本名の佐藤は実母の結婚相手の姓である。[要出典]
戦時中は茨城県の小学校に疎開[要出典]。坂本の著書『ボクはぬくもり配達人』には東京に戻って新宿区立落合第二小学校を卒業とあるが[要ページ番号]、同『ピンポンパン新兵のひとりごと』には1949年(昭和24年)3月に茨城県那珂郡塩田村(現・常陸大宮市)第六小学校卒業とある[要ページ番号]。
1949年4月、東京都新宿区立落合第二中学校に入学し、1951年(昭和26年)3月に卒業する。1951年4月、早稲田大学工業高等学校 土木課に入学。16歳 - 17歳の頃にラジオで落語を聞き、お笑い芸人に憧れる。当時、民放テレビで放送されていた素人が出演する落語・漫才の「のど自慢」的番組にトシゴロ亭ニキビの名前で度々出演し、放送局荒らし、素人寄席荒らしなどの異名をとる。[要出典]
素人出演番組で出演を断られたことを機に、当時は「神様」のようなコメディアンだったパン猪狩に弟子入りする。猪狩はよく舞台をすっぽかすが、これは弟子を舞台に上げるための方便で、坂本も師匠の代役をつとめることがあった。[要出典]
1954年(昭和29年)[注釈 1] 、早川雪州映画技術研究所に入所する[4]。1956年(昭和31年)、東京アナウンスアカデミー入学[3]。また、東京テレビ研究所、などでも本格的な役者・タレントの勉強をする。劇団東芸、劇団新芸[3]など、多数の劇団に所属したことがある。[要出典]
1955年3月に高校を卒業後[要出典]、日本大学法学部に入学するが中退[4]。
芸名の「新兵」は渥美清とのやりとりから生まれたものである。売れない役者時代、テレビ局を回り自分を使ってくれるよう頼み込むが、その際に渥美は名刺代わりの紙に「自分を元帥にしてください」と書いたが、坂本は「渥美ちゃんは元帥からいくのか。よし、オレは"新兵"からいくぞ」と、芸名を坂本新兵として売り込んだ。姓の坂本には大した意味はなかったという。[要出典]
ある時、NHKに売り込みに行くと、『びっくりスコープ』という番組でタレントが遅刻してリハーサルに間に合わなかった。困ったディレクターが坂本をリハーサルのみの代役に使った。これがもとで同番組のレギュラーとなる。子供番組のホストとして評判が高まり、『おはよう!こどもショー』、『ママとあそぼう!ピンポンパン』などでも、ホスト役として出演する。[要出典]
1969年(昭和44年)11月に結婚。3年後に長男に恵まれる[要出典]。
1974年(昭和49年)12月、保護司の辞令を受け、保護司となる[5][6]。委嘱状の日付は「昭和50年3月」。坂本は喜劇役者として、それまでも刑務所等を慰問していたが、子供番組のホストとして有名になると少年院で子供たちのために何か話して欲しいと頼まれるようになった。そのうち法務省から保護司委嘱の話がある。坂本は広報用のタレント保護司になることをよしとせず、本名の佐藤親弘の名前で保護司の活動を始める。芸能界では木暮実千代についで二番目の保護司だった。[要出典]
1996年(平成8年)6月30日、心不全のため東京都内の病院で死去(満61歳没)。火葬は落合斎場で行われた[7]。
主な出演作品
ドラマ
- 1957年
-
- 1959年
-
- 1960年
-
- 1963年
-
- 1968年
-
- 1969年
-
- 1971年
-
- 1973年
-
- 1980年
-
- 1982年
-
- 1984年
-
人形劇
映画
テレビアニメ
- 1963年
-
- 1965年
-
- 1973年
-
劇場アニメ
- 1970年
-
吹き替え(海外アニメ)
- 1959年
-
- 1972年
-
バラエティー・教育番組
ラジオ
- 日産ラジオスペシャル(ニッポン放送)
- 歌謡大行進
- 素人奇席
CM
音楽作品
関連人物
著書・参考文献
脚注
注釈
- ^ タレント名鑑では昭和30年と記載している[3]。
出典
- ^ a b 坂本 新兵とは. コトバンクより2022年1月10日閲覧。
- ^ “坂本新兵の解説”. goo人名事典. 2022年1月10日閲覧。
- ^ a b c d 『タレント名鑑』《NO2》芸能春秋社、1963年、43頁。
- ^ a b 坂本新兵「子供ってすばらしい」『研修』9月号、誌友会事務局研修編集部、1982年、25頁。
- ^ 『ピンポンパン新兵のひとりごと』 175頁。
- ^ 『婦人生活』1月号、婦人生活社、1983年、208頁。
- ^ 『朝日新聞』1996年7月3日。
- ^ 『ピンポンパン新兵のひとりごと』 179頁。
- ^ 『ピンポンパン新兵のひとりごと』 18頁。
- ^ 「あれは『ピンポンパン』ではなく、日本テレビ『おはようこどもショー』でのことだった。」坂本新兵・著『ボクはぬくもり配達人』66頁。
- ^ 坂本新兵・著『ピンポンパン新兵のひとりごと』 16頁。
- ^ 同名のラジオ番組が有名だが、『ピンポンパン新兵のひとりごと』にTBSテレビとある。
外部リンク