土屋 正延(つちや まさのぶ)は、江戸時代中期の旗本。土屋讃岐守家の第7代当主。
生涯
宝歴12年(1762年)4月15日、江戸幕府9代将軍・徳川家重の小姓組として列する。以後、明和元年(1764年)閏12月9日に中奥番士、明和4年(1767年)閏9月28日に小十人頭に進み、明和5年(1768年)8月8日に父の遺跡を継いだ後、明和6年(1769年)2月12日には目付に転じた。
その後安永4年(1775年)7月1日には駿府町奉行、安永7年(1778年)閏7月20日には京都町奉行(西町奉行)に就任し、同年9月15日に従五位下・伊予守に叙任した。
天明4年(1784年)7月26日には長崎奉行に転じ、在任中の天明5年(1785年)7月12日、50歳で没した。法名は光徹。
妻は赤井五郎作忠通の養女であり、江戸幕府老中田沼意次の信任を得ていた。
知行所
年表
参考文献