和駅(やわらえき)は、かつて北海道雨竜郡北竜町和にあった日本国有鉄道(国鉄)札沼線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲120211[2]。
歴史
駅名の由来
もともと同地はアイヌ語名「エタイエペッ」から「エタイエベツ」と称され[4][注 1]、現在も恵岱別川として河川名称になっている[5]。
現在の名称は吉植庄一郎ら、千葉県埜原(やわら)村(現在の印西市の一部)出身者が入植し、出身地の「埜原」から音を借り名づけた[4][6]。
「埜原」ではなく「和」の字を用いた理由としては、永久に平和なる村を建設する意味、とする説や[4]、住民の一致団結を願った、とする説がある[6]。
駅構造
駅舎は桑園駅に向かって右手の西側に設置されていた。休止前の初期の構内は、駅舎前に単式ホーム1面1線と副本線を有し、副本線から札幌方に車庫線が分岐していた。また、駅舎横石狩沼田側の貨物ホームへ1本の引込線を有していた[7]。
休止再開後の構内は、駅裏側が石狩沼田側にずれた千鳥状の相対式ホーム2面2線と、駅舎とホーム間に敷かれて駅舎横の石狩沼田側に置かれた貨物ホームと札幌側の土場を利用する副本線の貨物積み降ろし線1線からなる都合2面3線で構成されていた。駅舎と各ホーム間は構内踏切で連絡していた。また、休止前にあった車庫が無くなり、引込線の車庫線も無かった[8]。
札沼線の部分廃止直前は浦臼駅と石狩沼田駅の間は1日5往復まで列車本数が削減されていたが、当駅ではこの区間で唯一列車交換が行われていた。
廃駅跡
縫製工場が建っている。旧駅舎の建物の一部がこの縫製工場に取り込まれている。
脚注
注釈
- ^ この名称の由来についてははっきりしない。「エタイエ(etaye)」は通常「引っ張る」「引き抜く」を意味するが、知里真志保は「頭がずっと奥へ行っている」と訳している[5]。
出典
隣の駅
- 日本国有鉄道
- 札沼線
- 渭ノ津駅 - 和駅 - 中ノ岱駅
関連項目
外部リンク
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1963年撮影航空写真 MHO631X-C5-7 写真左上隅に当駅。
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北海道医療大学 - 新十津川 (2020年廃止) | |
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新十津川 - 石狩沼田 (1972年廃止) | |
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*打消線は区間廃止以前の廃駅 |