新十津川駅(しんとつかわえき)は、北海道樺戸郡新十津川町字中央にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130222[2][注 1]。
当駅 - 石狩沼田駅間が1972年(昭和47年)に廃止されて以降、2020年(令和2年)5月7日に北海道医療大学駅 - 当駅間が廃止となるまで同線の終着駅だった。また、営業末期は1往復のみの発着で、当駅発の時刻が9時40分(廃止直前は10時00分)であったため、日本一終列車の早い駅となっていた[新聞 1]。
旧駅名の「中徳富」は地域名の「徳富」に、石狩川を基準にして中流にあることから「中」を冠した[14]。
この名称は新十津川村(当時)に3駅の鉄道駅が設置されることとなり、鉄道当局が上徳富・下徳富と共に示したものであったが、村内の橋本地区から、橋本地区へ「新十津川駅」の設置が要望されたことで、村内で役場移転・分村をもくろんだものであるとして論争が発生した[15]。
これを受け、開業直前の1931年(昭和6年)5月8日の村会において、中徳富駅を「新十津川」、橋本地区設置駅を「新橋本」とするよう鉄道当局に請願することとなり、5月11日に村長名で請願が行われた。請願に際し理由については次のように述べられている(文は引用に際し仮名をひらがなとした)[16]。
(前略)抑も村名を冠する驛は一村の中心地点所在驛に是を求む民心當然の帰趨にして寔に自明の理に有之候。即ち字中徳富に建設せらるべき驛は本村の中心地にして而も其の附近は本村行政の中樞にして(中略)其の實體よりして當然「新十津川驛」と冠称すべきものなりと思考せられ候(下略)
しかし、鉄道当局は橋本地区へ設置した駅を「石狩橋本」とした一方で、当駅については当初の予定通り「中徳富」と名付けたため、「新十津川」を名乗る駅が村内に存在しないという状況になった。このため開業後の1936年(昭和11年)には村産業組合長ら33名の連署により鉄道大臣宛てに改名の陳情が行われるなどした[16]。
その後札沼線は戦時中の不要不急線指定・営業休止を経て1953年(昭和28年)に営業を再開するが、それにあたって当駅はようやく「新十津川」と改称されることとなった[16]。この時点でよみは「しんとつがわ[3]」であったが、1997年(平成9年)に町名に合わせて「しんとつかわ」に変更されている[新聞 4]。
なお、新十津川への改称後、新設された隣駅が中徳富を名乗った。
当駅 - 石狩沼田駅間廃止後の1975年には、中空知広域圏の開発促進と石狩湾新港建設を焦点とする貨物輸送による新しい物流ルート開発を大義として、新十津川駅から滝川駅へ路線を直結して根室本線に乗り入れようという動きが起こり、滝川市、新十津川町、浦臼町、月形町、当別町の沿線各市町も実現を期すとして期成会も設立された。だが石狩川の架橋に巨額の費用がかかることから、当時の国鉄があまり積極的でなかったこともあり進展しなかった[新聞 13]。民営化後の1990年(平成2年)7月の札沼線整備促進期成会では、石狩川への2本の橋梁建設や高速道開通による道路状況の改善で鉄道新線の必要性が低くなったことを理由に、滝川駅への延伸が断念されている[新聞 14]。また、2017年(平成29年)7月に、当時バス転換が検討されていた同線沿線4町長の意見交換会が行われた際、宮司正毅当別町長が当駅から滝川駅まで、路線を延伸することを提案したことがあるが、町長の間で意見は一致しなかった[17]。
単式ホーム1面1線を有していた地上駅。石狩当別駅が管理していた無人駅だが、旧対面窓口部分を観光案内所としており、地域おこし協力隊員が記念グッズやDVDなどを販売していた[新聞 7][新聞 8][11]ほか、入場券(わがまちご当地入場券)を発売していた[18]が、2019年(令和元年)9月30日をもって発売を終了した。自動券売機の設置はない。2019年3月時点での観光案内所の営業時間は9:00 - 12:00(土曜・日曜・祝日は15:00まで)、休業日は年末年始[18]。
1953年築[新聞 3]の木造の駅舎は正方形に近い形をしている。以前は正面から見て長方形のような形をしていたが、無人化後、左半分が取り壊されて現在の形になった。
2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 当駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標および駅舎に掲げていた駅名板が撤去された[新聞 15]。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書き1日平均欄に示す。なお「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
2020年(令和2年)5月の札沼線 北海道医療大学駅 - 当駅間の廃線後、当駅跡地や線路跡地は新十津川町に無償譲渡された[新聞 17]。
駅舎は2020年(令和2年)10月10日に閉鎖され、廃線後も業務を継続していた駅舎内の観光営業所も閉鎖となった[新聞 18]。同日には当駅の開業89周年記念イベントが実施され、北海道医療大学駅 - 当駅間の最終列車に取り付けられる予定だったヘッドマークの寄贈などが行われた[新聞 19][新聞 20]。駅舎は2021年7月に解体された[13]。
当駅跡地は市街地の分断解消・交通アクセスの改善、子ども・高齢者・周辺住民の憩い・交流の場、市街地周遊の滞留拠点、終着駅の記憶と風景の継承、観光・文化施設のネットワーク拠点とすることを基本方針とし、線路で分断されている地域をつなぐ道路の新設、駅舎の跡地整備などを行うことになった[20]。廃止後、駅舎内や新十津川町役場などの4か所にて、全国から280枚の見送り写真をまとめたポスターが掲示されている[新聞 21]。
また、2021年(令和3年)5月に建て替えられた新十津川町役場では、改築計画当初庁舎南側前庭に当駅のプラットホームを再現した構造物がイメージ図に盛り込まれていたが[新聞 22][21]、プラットホーム型の造形物は建設されず完成に至っている。
2023年(令和5年)10月10日、本駅の跡地を中心とした札沼線跡地1.6haの敷地に「駅跡地さくら公園」が完成、施設内に旧駅のホームや線路を保存する他[新聞 11][新聞 23]、米と列車の車輪をモチーフとした五十嵐威暢作のオブジェ「テルミヌスの朝ごはん」も設置された[新聞 11]。
新十津川町の中心地に位置するものの、駅舎はガス会社の敷地脇の奥まった場所にあった。石狩川を挟んだ対岸に位置する滝川駅までは4.3 kmほどの場所にあり、後述する路線バスでも行き来が可能。
2017年から2018年にかけ毎週土曜・日曜に駅ホームで乗降客を出迎えた、雨竜町の団体職員の飼い犬である柴犬[新聞 24]。元は函館保健所に保護された犬で、2017年1月に認定NPO法人「HOKKAIDOしっぽの会」による保護を経て雨竜町の団体職員が引き取った。同年4月に飼い主が駅での硬券切符販売イベントにララを連れて訪れた際に鉄道ファンがララに駅員の帽子をかぶせた写真をInstagramに投稿したところインターネット上で話題となったのをきっかけに制帽・制服姿での出迎えを始め「駅長」の愛称で親しまれるようになった[新聞 25][新聞 24]。
人気の広がりを受けて2017年9月16日にはHOKKAIDOしっぽの会と北海道日本ハムファイターズの共同企画の一環として札幌ドームのグラウンドに登場し[新聞 25][23]、日本テレビ(道内では札幌テレビ)「天才!志村どうぶつ園」でも駅で出迎える様子が紹介された[24]。
2018年3月17日には、ダイヤ改正に伴い停車時間が延長されたのを記念し新十津川町役場からララと飼い主に感謝状が贈られた[新聞 26]。
2018年7月8日をもって、高齢であることから、体調管理のために、駅長犬「ララ」としての定期的な「出勤」を終了した。それ以降はイベント時を中心に活動しており[25]、2020年4月17日に行われた北海道医療大学駅 - 当駅間のラストランにおいては、最終列車の見送りを行った[新聞 27]。
2020年6月6日夜、老衰のため死去した[新聞 27]。推定14歳[新聞 27]。死去後、同年6月8日に新十津川町観光協会が、駅舎内にララのメモリアルコーナーを設置した[新聞 28]。
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