右近 和作(うこん わさく、旧姓・八十島[1]、1876年(明治9年)3月11日 - 没年不明)は、日本の実業家、資産家。日本海上火災保険相談役[2]。日本海上ビルデイング社長[3]。日海興業、右近商事各取締役[2][3]。日本生命保険監査役[2]。早稲田大学評議員[4]。族籍は福井県平民[1]。
人物
福井県平民・八十島五郎右衛門の三男[1]。八十島五郎右衛門の弟[5]。生家は代々酒造家であった[6]。1898年、右近権左衛門の養子となり、1916年、養弟権左衛門方より分家して一家を創立した[1]。
1901年、東京専門学校(現・早稲田大学)英語政治科卒業[1][4]。米国に遊学した[4]。養父の統督する日本海上保険に入り、常務取締役として手腕を発揮した[6]。戦後、公職追放となった[7]。
資産家であった。『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』によれば「財産見積額・80万円、財産種別・有価証券其他」である。『大正人名辞典』によれば「資産100万円以上を算す」という[6]。趣味は読書、書道[2]。宗教は仏教[2]。住所は兵庫県武庫郡住吉村鴨子ヶ原[2](現・神戸市東灘区鴨子ヶ原)。
家族・親族
- 右近家
- 親戚
- 時国武二郎(医学博士、内科医師)
- 小寺敬一(関西学院高等商業学部教授)
脚注
参考文献
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝 上巻』実業之世界社、1936年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
関連項目