1860年6月に南アフリカで最初の鉄道路線がダーバンのマーケット・スクエア(Market Square) - ポイント(Point)間3.2 kmに標準軌で開通した。1863年にケープタウンからウェリントンまでの45マイル (72 km) の路線も開通した。険しい山岳地帯への登坂に苦労したため、内陸部への早期の鉄道網敷設のために急曲線を許容できる3フィート6インチ狭軌を選択することになり、既存の標準軌区間も改軌された[2]。他の地方でもそれに続いて鉄道の建設が進められ、1898年に国土全体の鉄道網が接続され、1910年に統一した事業体になった[3][1]。さらにセシル・ローズの「ケープタウンからカイロまで」の構想の元に、ケープ・カイロ鉄道の計画が進められ、鉄道は南アフリカの領域外まで延長されたが、最北端はザンビアまでとなっており、構想は実現しなかった[3](第二次大戦後、タンザン鉄道の建設により東アフリカまで延長)。
1910年に4つの地方が合併して南アフリカ連邦(現・南アフリカ共和国)が樹立されたことに伴い、各国の鉄道路線も統合された。南アフリカ鉄道・港湾庁(SAR & H: South African Railways and Harbours、アフリカーンス語での略称はSAS & H)が、鉄道網を管理する官庁として設立された。1981年4月に組織改編が行われ、SATS(South African Transport Services)と呼ばれる国営企業になった。1990年4月には、政府が100%出資して設立したトランスネット(Transnet)という公社に移行し、鉄道部門はスポールネット(Spoornet)と呼ばれている。都市部での輸送については、南アフリカ旅客鉄道公社(PRASA)が引き継いでいる。国土全体にわたる鉄道網に関して政府が所有権を手放す計画はないものの、一部の鉄道については民営化された[2]。