勾金駅(まがりかねえき)は、福岡県田川郡香春町大字中津原にある平成筑豊鉄道田川線の駅である。駅番号はHC17。
当駅の約500メートル西側にある福岡県立田川高等学校がネーミングライツを取得し、2009年(平成21年)4月1日より愛称付きの駅名が田川高校前 勾金駅となっている[2]。
歴史
駅構造
地上駅であり、相対式ホーム2面2線を有する列車行違い(交換)可能な無人駅で駅舎がある。駅舎には以前ラーメン店が入っていたが、現在は美容院「g」が入居している。上りと下りのホームは構内踏切で結ばれている。車椅子は、上りホームは田川高校方向へは出入り可能であるが、下りホーム(駅舎)には段差があるため、利用は難しい。
のりば
※案内上ののりば番号は割り当てられていない。
日本セメント専用線
当駅では、開業時から平成筑豊鉄道転換前の1989年(平成元年)まで貨物営業を行っていた。また、1976年(昭和51年)から1989年まで日本セメント(現・太平洋セメント)の専用線が接続していた。
日本セメントの香春工場は、香春駅近くで1935年(昭和10年)6月に操業を開始し、香春駅に繋がる専用線を保有していた。香春工場の生産量増強による新しい船積み基地が苅田港に新設されると、1976年(昭和51年)12月に日本セメント専用線が当駅側にも敷設され、セメント輸送が苅田港駅との間で開始された[8]。工場と当駅を結ぶ専用線は総延長3.0kmで、そのうち2.3kmは当駅と国鉄の旧・夏吉駅を結ぶ田川線の貨物支線を転用した[8]。旧・夏吉駅は4本の線路を持つヤードとなり、このヤードから当駅まではDE10形ディーゼル機関車、工場までは日本セメントの私有機が貨物列車を牽引していた[8]。
この日本セメント専用線は、香春駅の専用線が廃止された後も使用され続けたが、JR田川線の平成筑豊鉄道転換が行われる直前の1989年7月9日限りで廃止された[8]。廃止時点では、セメント輸送列車は当駅と苅田港駅の間で1日3往復(火・土曜日は1日4往復)、20両の貨車を牽引する形態で運転されていた[9]。
日本セメント専用線周辺配線略図(1978年)
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凡例
出典:[10] |
駅周辺
※添田線があった頃は、当駅と国鉄上伊田駅とが近く、乗換客もいたという。
隣の駅
- 平成筑豊鉄道
- ■田川線
- 柿下温泉口駅 (HC18) - 勾金駅 (HC17) - 上伊田駅 (HC16)
脚注
- ^ a b 「門鉄、来月から9線区で合理化 25駅無人化 委託化は5駅」『交通新聞』交通協力会、1984年1月24日、1面。
- ^ a b 「平成筑豊鉄道:駅命名権、新たに14駅契約 あすから企業名など表示」『毎日新聞』毎日新聞社、2009年3月31日、地方版/福岡 朝刊、1面。
- ^ a b c d e f g h 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2』(初版)JTB、1998年10月1日、770頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d e f 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 1』 JTB、1998年
- ^ 「20日から実施へ 門鉄の営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月15日、1面。
- ^ 「通報 ●山口線大歳駅ほか76駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1984年1月30日、32面。
- ^ a b “時刻表:勾金駅”. へいちくネット. 平成筑豊鉄道. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b c d 宮脇俊三編 『鉄道廃線跡を歩く 10』 JTB、2003年[要ページ番号]
- ^ 「railnews」『鉄道ファン』1989年10月号(通巻342号)、交友社、1989年。
- ^ 川島令三、『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線 第3巻 北九州・筑豊エリア』、62-63頁、講談社、2013年7月
関連項目
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外部リンク