冨田 裕樹(とみた ひろき、1976年〈昭和51年〉8月4日[2] - )は、日本の政治家。大阪府池田市長(1期)、池田市議会議員(1期)、大阪維新の会顧問などを務めた。
兵庫県伊丹市生まれ[3]。関西大倉高等学校在学時からアメリカンフットボールを始める。
1995年4月、立命館大学経営学部に進学。大学では立命館大学パンサーズに所属した[4]。
1999年3月、同大学卒業。広告代理店に勤務。次いで重度障がい者自立支援事業所の運営にあたる[4]。大阪維新の会による「維新政治塾」に一期生として参加後、足立康史の公設第一秘書となる。
2015年、池田市議会議員に初当選。2016年3月、京都大学公共政策大学院修了[4]。
2019年4月2日、池田市長の倉田薫が辞職届を提出[5]。これにより、市長選は統一地方選挙として実施される市議選と同日程で行われることとなった[5]。4月14日告示の池田市長選挙に大阪維新の会の公認で立候補し[6][7]、市議を自動失職[8]。市長選挙では「市長月額給与30%カット、退職金ゼロ」を公約に掲げた[9]。4月21日、市長選挙執行。倉田の長男で、市議の倉田晃との一騎打ちを制し初当選した[6]。 ※当日有権者数:84,266人 最終投票率:55.52%(前回比:+10.65pts)
2020年10月以降、市役所サウナ設置、キャンプ用品持ち込み、タクシーチケット不正使用、パワハラ疑惑、秘密保持契約の締結、議会での虚偽答弁、市駐車場定期券不正使用など様々な問題が百条委員会や報道で明らかとなり(後述)、同11月に維新を離党。
2021年7月30日付で市長を辞職した[10]。自身の辞職に伴って8月29日に行われた市長選挙に立候補するも、かつて自身の秘書を務めた前市議の瀧澤智子に敗れ[11]、冨田は候補者4人中4位で落選し、得票数は供託金没収点に届かなかった。同日深夜、市内の事務所で支援者らに「私の不徳のいたすところでした」と頭を下げた。また、「政党政治に対して、個人の力というのはこれほどのものなのかというところを痛感している」とも述べた[12]ほか、「全国でくすぶっている若い世代の人を集めて、政治活動をします。将来、何かお話があれば」と述べ、政治活動を続ける意向を示した[13]。 ※当日有権者数:85,128人 最終投票率:51.66%(前回比:-3.86pts)
{{cite news}}
|date=
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。