全日本剣道選手権大会(ぜんにほんけんどうせんしゅけんたいかい)は、剣道の日本選手権大会。主催は全日本剣道連盟。後援はスポーツ庁、読売新聞社、日本武道館ほか。
概要
トーナメント方式で男子剣道日本一の選手を決める大会である。優勝者には天皇盃が授与され、最も栄誉ある剣道大会として位置付けられている。大会は厳粛に進行され、選手は強さのみならず、武道の精神に則った礼儀作法も求められる。
出場資格
全日本剣道連盟傘下の各都道府県剣道連盟が予選を実施する。予選の優勝者が本選に出場できる。ただし、北海道・茨城県・神奈川県・静岡県・愛知県・兵庫県は準優勝者も、千葉県・大阪府・埼玉県・福岡県は準優勝者と第三位者も、東京都は準優勝者と第三位者と第四位者も出場できる(合計64名)。
第32回(1984年)から出場資格が六段以上に制限され[1]、第38回(1990年)から五段以上に緩和され、第43回(1995年)に段位制限が撤廃され20歳以上に改められた。
開催日
第30回(1982年)から毎年11月3日(文化の日)。
会場
第1回(1953年)蔵前国技館。第2回(1954年)、両国メモリアルホール。第3回(1955年)、両国国際スタジアム。第4回(1956年)から第11回(1963年)まで東京体育館にて開催された。
第12回(1964年)以降は現行の日本武道館。ただし第67回(2019年)は日本武道館が2020年東京オリンピックを見据えた施設改修工事期間中で使用出来ないことから大阪市中央体育館(丸善インテックアリーナ大阪)に場所を移して開催[2]。また第68回は女子との同時開催で長野市真島総合スポーツアリーナで開催。
第36回(1988年)から檜舞台を廃し床面で実施。
表彰・賞品
1958年(昭和33年)、宮内庁から全日本剣道連盟に天皇盃が下賜され、男子優勝者に授与している。盃は純銀製で直径255ミリ、高さ175ミリ、重量2362グラム。優勝者には天皇盃の他に読売新聞社から優勝旗・日本武道館から日本武道館賞・全米剣道連盟から優勝杯と副賞としてJALアメリカ往復航空券が贈られる。
放送
大会の模様はNHK BS1及びNHK総合テレビジョンで生放送される。視聴率は2011年約4%、2012年約2%であった[3]。近年はYouTubeでのライブ配信なども行われている。
歴代優勝者
優勝回数は複数回優勝経験者のみ表記
記録
優勝回数
連続優勝記録
職業別優勝記録
警察官が最も多く、教員が次ぐ。大会初期に出場した選手の職業はさまざまであったが、昭和40年前後から警察勢が台頭し、昭和50年代にかけて教員勢と優勝を争うようになった。平成時代の優勝者は平成26年を除きすべて警察官。これらの警察官は術科特別訓練員(特練員)という選抜された剣道要員で、ほとんどが機動隊に所属している。なお、女子との同時開催だった第68回大会はコロナウイルス感染症問題で開催時期が遅れた上、警察庁の判断で警察官は出場しなかった。
都道府県別優勝回数(2016年大会まで)
2006年から2011年まで、熊本県出身者で6連覇を記録している(内村良一(2006年・2009年)、寺本将司(2007年)、正代賢司(2008年)、高鍋進(2010年・2011年))。
最年少優勝
最高齢優勝
入賞回数
- 9回: 内村良一(優勝3回、準優勝5回、3位1回)
- 8回: 宮崎正裕(優勝6回、準優勝2回)
- 7回: 西川清紀(優勝3回、準優勝2回、3位2回)
- 6回: 川添哲夫(優勝2回、準優勝1回、3位2回)/ 原田悟(優勝1回、準優勝2回、3位3回)
兄弟出場
兄弟対決
脚注
- ^ この制限により宮崎正裕は六段を取得するまで出場できなかった。
- ^ "剣道全日本選手権 史上初の3連覇狙う西村に注目「聖地」武道館を離れ初の大阪開催". 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. 2 November 2019. p. 1. 2019年11月3日閲覧。
- ^ 大会報道 テレビ・新聞編|第60回 全日本剣道選手権大会|全日本剣道連盟
参考文献
関連項目
外部リンク