京極 高或(きょうごく たかもち)は、江戸時代中期の大名。讃岐国丸亀藩の第3代藩主。丸亀藩京極家5代。
第2代藩主・京極高豊の五男。正嫡の兄3人が早世したため嫡子となる。元禄7年(1694年)6月18日、父の高豊が死去した時は3歳だったため、高或の夭折による家の断絶を恐れた高豊の遺言により、高或が宗家を継ぐ一方、庶兄の高通に1万石が分知され、多度津藩が立藩された。元禄15年4月15日、将軍徳川綱吉に御目見した。宝永3年(1706年)12月19日、従五位下・若狭守に叙任した。翌年には元服して前髪を京極家の氏神である沙沙貴神社へと納めた。
享保9年(1724年)に33歳で死去した。跡を長男の高矩が継いだ。
正室所生は長男・高矩。側室馬勢子所生は常子。側室登満子所生の次男・西尾忠需は、高或の姉妹である辨子を正室とする横須賀藩主西尾忠尚の養子となり跡を継いだ。
分家・支流