五個荘町(ごかしょうちょう)は、滋賀県神崎郡にかつて存在した町。近江商人発祥地の一つとして知られる。2005年2月11日周辺市町と合併し、東近江市の一部となった。
古来より交通の要衝で、古代には東山道、近世には中山道や御代参街道(伊勢道)が通り、現在も国道8号と東海道新幹線が町中央部を横断している。その利点を活かして、中世以降近江商人発祥地の一つとして発展。特に江戸時代後期から昭和初期にかけて多くの商人を輩出し、成功して財を成した商人の屋敷や庭園などが残る。1980年代後半頃から「近江商人発祥の地・てんびんの里」のキャッチフレーズのもと、それらの保存活動や観光資源化が進められている。
繖山東麓にあった「山前荘(やまさき、やまざき、やまのまえ-のしょう)」が鳥羽院政期(12世紀)に「山前五個荘」と称されたことに由来する。「五」は、山前荘に主要な荘園が五つ所在していたことによる。該当する荘園については諸説あるが、一つに南荘(現在の金堂・川並・塚本・石馬寺付近)・北荘(現在の宮荘付近)・東荘(現在の竜田・北町屋・石川付近)・橋詰荘(現在の七里・石馬寺付近。橋爪荘とも)・新八里荘(未詳)を指すとされる。「空閑(こかん)」の転訛であるとの説もある。
かつては「五箇荘」と表記され、現在も駅名などに残っているが、自治体名としては発足当初から「五個荘町」であり、「五箇荘町」は誤りである。俗に「ごかのしょう」とも読まれる。「五個荘」のアクセントについては、共通語では中高型で発音されることが多いが、地元ではすべて高音の平板型で発音される。合併によって五個荘町は消滅したが、町名を残してほしいという意見が多かったため、合併後も宮荘を除いて住所表記を「東近江市五個荘○○町」として町名を残している(東近江市#合併に伴う住所変更を参照)。
滋賀県東部、近江盆地(湖東平野)に位置する。町域の東部を愛知川、西部を繖山(きぬがさやま。主峰は観音寺山とも)、南部を箕作山(みつくりやま)、北東部を和田山によって画され、中央部は平地が広がる。平地では東部に大同川(だいどうがわ)、西部に天保川(てんぽうがわ)、北西部に瓜生川(うりゅうがわ)が流れる。
五個荘は里山に囲まれ、また愛知川沿いには河辺林が広がっていた。戦後、里山は林業衰退によって荒廃し、河辺林は工場用地としてごく限られた区画を残して伐採された。里山については近年その価値が再認識されるようになり、複数の里山保全団体が間伐や登山道整備などを行っている。
清流の多い土地でもあり、町域各地で鈴鹿山脈からの伏流水が湧出していた。戦後、永源寺ダム建設による水量減少や、工場誘致による地下水汲み上げによって多くの水源が枯渇し、また圃場整備もあいまって多くの生物が姿を消した。棲息地を追われた生物の一つに絶滅危惧種ハリヨがある。宮荘では一旦枯渇した湧水を「ハリヨの里あれぢ」として整備し、ハリヨの保護活動を行っている。
七里や五位田など条里制に由来する地名があることから、古代から開発が進んでいたと考えられる。律令制下では建部郷(現在の五個荘南部から八日市北部)と小幡郷(現在の五個荘北部から能登川東部)に属していた。建部郷は建部(健部)氏の本拠地であったとされる。北町屋付近には神崎郡の郡衙が、清水鼻付近には東山道の駅が置かれた。
中世には大きく分けて、建部荘(日吉社領→建部社領)・山前荘(日吉社領→延暦寺領→皇室領)・小幡荘(藤原氏領)の三つの荘園があり、六角氏が守護大名として支配した。六角氏の本拠地に隣接するため町域各地に城砦が築かれ、のちに織田信長との観音寺城の戦いでは町域全域が戦場となった。
室町時代には東山道に近い小幡三郷(現在の小幡・中・簗瀬)から商人が起こり、伊勢方面で活動する四本商人(保内・石塔・沓掛と小幡)と若狭方面で活動する五箇商人(八坂・薩摩・田中江・高島南市と小幡)の二つの商業集団に属した。商業利権を巡って保内商人との争いが絶えず、小幡商人は徐々に衰退するが、一部は安土城下、さらに八幡山城下へと移り、八幡商人の一部となった。近江八幡市の旧市街には現在も小幡町という町名が残っている。
江戸時代には、初期は幕府と彦根藩、1685年(貞享2年)以降は彦根藩と郡山藩が領有した。彦根藩の商業自由化政策もあって、享保以降、金堂・川並・山本・宮荘など町域各地から多くの商人が発生した。八幡商人や日野商人の後発ということで不利な立場であったが、江戸末期から近代にかけて飛躍的に成長し、日本国内はもとより朝鮮半島・中国大陸へ進出する者もあった。近江尚商会発行『近江商人』には、「神崎郡の旭村大字山本と南五個荘村大字川並及金堂は、もとより田舎の小部落なれど、ひとたび足を入るもの誰か豪家櫛比の状に驚かん」とあり、富裕な家が建ち並んでいた[3]。当時の屋敷の一部は現存しており、とりわけ金堂は保存活動が盛んで、1998年に重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
稲作を中心とする農村地帯であるが、1戸当たりの耕地面積が狭く、かつては零細農家が多かった。農閑期の副業として行商が行われたのが近世の五個荘における近江商人の始まりである。現在は兼業農家あるいは第2次産業や第3次産業に従事する者がほとんど。農業以外の伝統的な主要産業は麻織物産業(近江上布)で、現在は綿織物や化学繊維も生産されている。伝統工芸は小幡人形、三俣の梵鐘、簗瀬箕(近世から近代)など。
近江鉄道本線が町東部を通過しており、小幡に五箇荘駅(無人だが、コミュニティセンターを併設)が設置されている(「五個荘駅」ではない)。五箇荘駅から町内各地へは五個荘町内循環バスが運行されていた(合併後の現在は乗合タクシーに転換)。八日市市域ではあるが、町南部は河辺の森駅(無人)も最寄り駅となる。
JRは東海道新幹線が通過するのみであり、在来線の駅としては能登川町の東海道本線(琵琶湖線)能登川駅が最寄り駅である。町南部・西部を経由して近江鉄道八日市駅方面と能登川駅を結ぶバス路線(神崎線)が近江鉄道バスによって、町北東部を経由して近江鉄道愛知川駅方面と能登川駅を結ぶバス路線(角能線)が湖国バス(近江鉄道子会社)によって運行されている。
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