中臣 広見(なかとみ の ひろみ)は、奈良時代の貴族。中納言・中臣意美麻呂の子。官位は正五位上・神祇伯。
養老7年(723年)正六位上から従五位下に叙爵。神亀元年(724年)に持節大将軍・藤原宇合らによって行われた蝦夷征討に参画したらしく、翌神亀2年(725年)正月に征討軍参加者に対して行われた叙位・叙勲に際して、従五位上および勲五等を与えられている。
その後、天平年間初頭に右中弁・神祇伯を歴任する一方、天平元年(729年)正五位下、天平3年(731年)正五位上と順調に昇進している。
『続日本紀』による。
「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。