三宅 康徳(みやけ やすのり)は、江戸時代中期の大名。三河国田原藩3代藩主。田原藩三宅家6代。官位は従五位下・能登守、備後守。
天和3年(1683年)10月24日、2代藩主・三宅康雄の次男として誕生した。長兄の襖右衛門が早世したため、世子に指名された。元禄10年(1697年)12月18日、従五位下・能登守に叙位・任官する。元禄12年(1699年)に元服する。享保11年(1726年)、父の死去により家督を継いだ。
目安箱を設置するなどしたが、江戸城門番などの公役を始め、娘の結婚費用、享保17年(1732年)の暴風雨などによる被害で藩財政が次第に苦しくなった。このため寛保元年(1741年)11月に倹約令を出し、寛保2年(1742年)に上米を行うなどしている。
延享2年(1745年)8月8日、長男の康高に家督を譲って隠居する。宝暦3年(1753年)12月1日、田原で死去した(江戸幕府の死亡届では12月3日である)。享年71。
父母
正室
側室
子女