万里小路 正房(までのこうじ なおふさ)は、江戸時代後期の公卿。権大納言・万里小路建房の子。官位は従三位・権大納言。万里小路家24代当主。
経歴
京都で誕生。初め寿房と名乗った。
文政3年(1820年)叙爵。弁官、蔵人頭を歴任し、天保9年(1838年)参議、天保12年(1841年)従三位に昇進し、また嘉永元年(1848年)権中納言となる。
嘉永6年(1853年)議奏となって以後、朝幕関係の朝廷に奔走する事となり、安政2年(1855年)アメリカ・イギリス・ロシアとの和親条約の謄本を受理する。安政4年(1857年)権大納言となり、翌年には公武合体を唱え、また条約勅許問題や将軍継嗣問題において朝幕間の調停に努めた。さらに武家伝奏となり、水戸藩への密勅降下にも関与するが、九条尚忠の独断専行に関与したとして権大納言を辞職する。同年、二条斉敬・近衛忠房・広橋光成と共に江戸に降り、江戸幕府14代将軍となった徳川家茂に将軍宣下を行った。安政6年(1859年)安政の大獄で処分の対象となるも、あらかじめ武家伝奏を辞職したために謹慎30日に減刑された。同年、薨去した。享年58。日記に「正房卿記」がある[1]。
系譜
脚注
外部リンク
- 万里小路日記 万里小路正房, 万里小路博房, (日本史籍協会, 1920)