万里小路季房(までのこうじ すえふさ)は、鎌倉時代末期の公卿。大納言・万里小路宣房の二男。官位は正四位下・参議、右大弁、中宮亮。季房は後醍醐天皇の倒幕運動に関わったが、子・仲房は北朝に仕え、万里小路家は北朝政権と足利将軍家で重きをなしていくことになる。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
元弘の乱に関わる
季房は参議となって間もなく、元弘の乱に関わって幕府に捕縛され関東に流罪となった。兄・藤房は京都に帰還できたが、季房のみが殺され父・宣房と母が嘆き悲しんだと『増鏡』にも記述がある[6]。
系譜
- 父:万里小路宣房(1258-1348)
- 母:不詳
- 妻:宮内卿藤原顕相の娘
脚注
- ^ 名家の昇進過程と叙爵時の年齢を考慮すると、兄藤房とは1〜3歳の年齢差であったのではないかと推測できる。
- ^ 宮内卿
- ^ 譲位のため。
- ^ 中宮当年御給。
- ^ 藤原光継が昇進した後任。
- ^ 『増鏡』「月草の花」。季房が死去した後に後醍醐天皇が隠岐から帰還して鎌倉幕府が倒れたことは、『増鏡』や『太平記』などで知られる通りである。
参考文献