メシーア(Mesía)は、スペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の自治体。コマルカ・デ・オルデスに属する。ガリシア統計局によると、2010年の人口は2,918人(2009年:2,975人、2006年:3,102人、2005年:3,174人、2004年:3,216人、2003年:3,240人)である。住民呼称は、男女同形のmesiense。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は99.66%(2001年)。
地理
メシーアはア・コルーニャ県の東部に位置し、コマルカ・デ・オルデスに属している。北はアベゴンドとセスーラスと、東はビラサンタールと、南はボイモルトとフラーデスと、西はオルデスの各自治体と隣接、自治体の中心地区はシャンセーダ教区のア・イグレーシャ地区[3]、で州都サンティアゴ・デ・コンポステーラから42km、県都ア・コルーニャからは46kmの距離にある。ブルーマ教区は飛び地となっており、アベゴンド、オルデス、カラルに囲まれている。
地形は北に向かって起伏が高くなっており、平均高度は400mである。最高地点はピコイ山頂の546mである。 川はカストロ教区を流れるタンブレ川が最も重要で、他にはピコイ山に源流があるサモ川がある。
交通は、コマルカの中心自治体オルデスと結んでいるAC-524号線が南西部を、そして西部のビサントーニャ教区を高速道路AP-9号線が通っている。
人口
歴史
この地は、中世にはサンティアゴ・デ・コンポステーラと、ベタンソス、ア・コルーニャやルーゴの海岸地方(マリーニャ地域)などの北の街の間の中継点であり、サンティアゴ巡礼路のひとつイギリスの道が通っていた。
旧体制下では、この地の教区はサンティアーゴ県のメシーア司法管轄区に属していた。カブルイ教区はソブラード・ドス・モンシェス修道院の所領で、ベタンソス県(Provincia de Betanzos)に属していた。
スペイン独立戦争さなかの1809年2月13日、フランス軍はアルシャン礼拝堂を破壊、火を放ち、村人3人を銃殺した。
自治体創設時には、メシーアは11教区によって構成、ポウロ司法管轄区に属した。1822年にはラ・コルーニャ県に属することになり、1835年にはオルデス司法管轄区に変更となった。
政治
自治体首長はガリシア社会党(PSdeG-PSOE)のマリアーノ・イグレシアス・カストロ(Mariano Iglesias Castro)、自治体評議員はガリシア社会党:8、ガリシア国民党(PPdeG):2、ガリシア民族主義ブロック(BNG):1となっている(2011年5月22日自治体選挙結果、得票順)[6]。
2011年5月22日の自治体選挙
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政党
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得票数
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得票率
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獲得議席
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PSdeG-PSOE
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1,481
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67.23%
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8
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PPdeG
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355
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16.11%
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2
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BNG
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344
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15.62%
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1
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教区
メシーアは12の教区に分けられている。太字は自治体中心地区のある教区[3]。
- アルビショイ(サンタ・マリーニャ)
- バスコイ(サンティアーゴ)
- ボアード(サンティアーゴ)
- ブルーマ(サン・ロウレンソ)
- カブルイ(サン・マルティーニョ)
- カストロ(サン・セバスティアン)
- クンブラーオス(サンタ・マリーア)
- ランサ(サン・マメーデ)
- メシーア(サン・クリストーボ)
- オラス(サン・ロウレンソ)
- ビサントーニャ(サン・マルティーニョ)
- シャンセーダ(サン・サルバドール)
参考文献・脚注
- ^ a b IGE(ガリシア統計局)
- ^ Neira, Carlos (ガリシア語), Evolución no uso do galego por concellos, Praza Pública., http://praza.gal/recurso/1263/evolucion-no-uso-do-galego-por-concellos/
- ^ a b Dicionario Xeográfico Ilustrado de Galicia vol.15、p.257-258、Xeogal Publicacións、2009、ISBN 978-84-613-5825-0
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
- ^ スペイン内務省 2011年地方選挙結果
外部リンク