S35は、1934年6月26日付に改訂通達された騎兵戦車「AMC(Automitrailleuse de Combat=戦闘用機銃車)」の仕様に基づいてデザインされた。1931年に出されたAMCの元の仕様に比べ、新仕様は対戦車砲への防御力を高めるためより重量が増していた。通達に先立ち、フランス陸軍はすでにシュナイダー社の子会社で、サン・カンにあるソミュア社(SOMUA、Société d'Outillage Mécanique et d'Usinage d'Artillerie)に試作車の製作について接触しており、ソミュア社も7月16日にこれを了承した。
製作は1934年10月12日に始まり、翌1935年4月14日、AC3と名付けられた原型車両が完成。AC3は1935年7月4日から8月2日まで評価試験に供された。さらに改良を施された試作車、AC4が4輌製作され、これらは1938年1月27日までテストされた。これら試作車両は短砲身の 47mm戦車砲SA34 付きの標準型 APX 1 砲塔を搭載していた。APXとはこの砲塔がピュトー工廠(Atelier de Construction de Puteaux, APX)製であることに由来する。
評価試験中の1936年3月25日、AC4は「Automitrailleuse de Combat modèle 1935 S(戦闘用機銃車1935年型-S、Sはソミュア社製を示す。略称 AMC 1935 S)」の名称で制式採用され、第1次発注として50輌の生産が命じられた。この戦車は「SOMUA S35」の名称で知られ(Sはソミュア社、35は制式採用された1935年を示す)、今日ではより短縮化された「S35」もしばしば使われる。「S-35」とハイフン付きの例も多いが、これは当時のフランスの資料では見られない。
ソミュアS35の車体と砲塔は、それぞれ最大装甲厚 47 mm、40 mm の鋳造だった。車体は4分割で、車体下部は左右、上部は前後に分割されており、それぞれがボルト結合されていた。砲塔はルノーB1に搭載された APX 1 砲塔のバリエーションで、元の 1,022 mm に対して 1,130 mm に砲塔リングが拡大された APX 1 CE(=chemin élargi)が使われた。これは118発(徹甲弾90発、榴弾28発)の主砲弾箱、2,250発の機銃弾マガジンを車長が装填するのを無線手が補佐しやすいように改設計されたものだった。とはいえルノーB1同様、操縦の指示と主砲の操作・装填はなお全て車長の役割で、ただ無線機の操作が別の乗員に振り分けられただけだった。
無線機はS35の標準装備の一つと想定されていた。実際には、小隊長車には部隊間通信用の ER 29(émetteur-récepteur 29=29型送受信機)が搭載されたものの、部隊内通信用短距離無線機 ER 28 の不足により、小隊長車を除く小隊の他4輌には無線機は搭載されなかった。それらに無線機を搭載する計画は1940年夏まで延期されたので戦争には間に合わなかった。
サスペンションは、フランスで最初の戦車であるシュナイダーCA1を開発したウージェーン・ブリリエ(Eugène Brillié)設計による。ブリリエはそれまでチェコのシュコダ社で働いており、サスペンションは彼が手掛けたLT-35を元にしたもので、8つの転輪を4つのボギーにまとめリーフスプリングで支え、大型の張力調整輪を備えていた。プロトタイプおよび生産初期の車両は細かいピッチの履帯を装着していたが(75 mm ピッチ/片側144枚)、後の生産車ではピッチが拡大された(105 mm ピッチ/103枚)。
1935年に騎兵戦車Somua S35の開発計画から自走砲を開発する計画が派生した。1937年の後期には車体が完成し、1939年には遅れていた砲の試験も終了、十分な性能であると認められSomua SAu 40として採用、1939年の11月には36輌の先行量産型が製造された。車体前部中央に75 mm砲を搭載。