{{翻訳告知|en|Surabaya|…}}
スラバヤ(インドネシア語: Kota Surabaya)は、インドネシア第2の都市であり、東ジャワ州の州都である。ジャワ島北岸のマス川河口に位置する。人口は約297万人(2021年)。明代から華僑が在住しているため、漢語では泗水と呼ぶ。
天然の良港タンジュン・ペラック港を中心に、オランダ植民地時代から貿易の中心として栄えた。 現在はインドネシア最大の港湾で、最大の軍港である。
砂糖、タバコ、コーヒーなどを輸出する。 華人やアラブ系住民も多く、チャイナタウンやアラブ街もある。国立総合大学のアイルランガ大学や、アイデア対決・ロボットコンテスト(NHKロボコン)に参加経験のあるスラバヤ電子工学ポリテクニックなど、高等教育機関も多い。
インドネシア語で鮫を意味するスラと鰐を意味するバヤがこの地で最強の動物を争ったという神話に由来し、市章に表されている。
15世紀から16世紀にかけてイスラム系のスルタン国が存在し、ジャワ島東部の政治的、軍事的拠点であった。 1625年、紛争の後に当時強大であったマタラム王国の支配下となった。これによりマタラム国は、バンテン王国の支配地とオランダ領バタヴィアの除いたジャワ島のほとんどすべてを支配下に治めた。
オランダ植民地時代に商業港として発展した。太平洋戦争中の1942年、日本軍に占領され第百二海軍工作部が置かれた。若鷹 (急設網艦)などが修理を受けている。1944年連合国軍の爆撃を受けた。
1945年日本の降伏後、10月25日に上陸した英軍第49旅団とインドネシア独立派の間で戦闘が発生し、これがインドネシア独立戦争の発端となった。その後インドネシア独立派が占拠したが、1947年、オランダ軍に再占領され、1949年にようやくインドネシア共和国に編入された。 スカルノ初代大統領の故郷でもある。
ケッペンの気候区分ではサバナ気候(Aw)に属する。
市内中心部から17km離れた位置にジュアンダ国際空港がある。インドネシア国内でもジャカルタのスカルノハッタ国際空港に次いで2番目に利用者の多い空港となっている。
ジャカルタからチレボン・スマランを経由してスラバヤ・パサールトゥリ駅へ至る北幹線、ジャカルタからバンドンまたはチレボン・ジョクジャカルタ・ソロ・マディウンを経由してスラバヤ・グブン駅、スラバヤ・コタ駅に至る南幹線の接続するジャンクションで、南幹線の途中からバリ島への連絡港の有るパニュワンギへの支線も出ていてスラバヤ・グブン駅からパニュワンギ行きの列車も設定されている。
対岸のマドゥラ島とはスラマドゥ大橋で結ばれている。
2021年アジアユースゲームズの開催地に予定されている[7]。
ゲロラ・ブン・トモ・スタジアムは多目的スタジアムで、主にサッカーで用いられる。5万人収容。