ジム・ヒッキーJim Hickey ワシントン・ナショナルズ コーチ #48
ワシントン・ナショナルズでのコーチ時代 (2021年4月6日)
基本情報 国籍
アメリカ合衆国 出身地
イリノイ州 シカゴ 生年月日
(1961-10-12 ) 1961年 10月12日 (62歳) 身長 体重
6' 2" =約188 cm 215 lb =約97.5 kg 選手情報 投球・打席
右投右打 ポジション
投手 プロ入り
1983年 MLBドラフト13巡目 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ジェームズ・ジョゼフ・ヒッキー (James Joseph Hickey , 1961年 10月12日 - )は、アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ 出身の元プロ野球選手 (投手 )、野球指導者。右投右打。現在は、MLB のワシントン・ナショナルズ の投手コーチを務める。
経歴
プロ入り前
シカゴ のケネディ高等学校 (英語版 ) 卒業後、テキサス大学パンアメリカン校 に入学し、1983年 には大学代表チームに選ばれた。19先発で16勝2敗で防御率 1.66を記録し、チームの64勝という学校記録にも大きく貢献した。4年時の16勝はNCAA 野球で最多勝だった[1] 。19先発で16完投を記録し、これはその当時のNCAA野球で歴代3位の記録で現在も4位の記録である[2] 。大学在学中は、ファイ・シグマ・カッパ (英語版 ) のフラタニティ の一員だった[3] 。
現役時代
プロ入りとホワイトソックス傘下時代
1983年 のMLBドラフト 13巡目(全体331位)でシカゴ・ホワイトソックス から指名され、プロ入り。
1984年 は自身最高のシーズンで、A級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズ でリリーフ として13勝5敗で防御率1.81を記録し、チームはミッドウェストリーグ で優勝を果たした。
1983年から1987年 までホワイトソックス傘下でプレーを続けた。
ドジャース傘下時代
1988年 には、ロサンゼルス・ドジャース 傘下のAA級サンアントニオ・ミッションズ でプレーした。
アストロズ傘下時代
1989年 は、ヒューストン・アストロズ 傘下のAA級コロンバス・マドキャッツ (英語版 ) でプレーした。
現役時代にメジャー経験は無く[4] 、1989年に引退した。
引退後
引退後は1996年 よりヒューストン・アストロズ 傘下のマイナーで投手コーチとなった。2004年 7月14日からはメジャーで同職となり[5] 、2006年 まで務めた[6] 。
タンパベイ・レイズでのコーチ時代 (2010年2月21日)
2007年 からはタンパベイ・デビルレイズ の投手コーチに就任し、デビッド・プライス 、ジェレミー・ヘリクソン 、アレックス・カッブ 、クリス・アーチャー らを育てた。2017年 のレギュラーシーズン終了後に退団した[7] 。
2018年 はシカゴ・カブス の投手コーチに就任した[8] が、1年限りで退任した。
2020年 10月にワシントン・ナショナルズ の投手コーチに就任することが発表された[9] 。
詳細情報
背番号
48 (2004年 - 2018年、2021年 - )
脚注
外部リンク