1940年から終戦までArmament Research Department[2]で戦時下の仕事をした後、1946年にイギリス国立物理学研究所に新設された数学部門(Mathematics Division)に移り、ACEコンピュータプロジェクトに「1と1/2」人として、アラン・チューリングと共に取り組んだ(1人は言うまでもなくチューリングその人のことである。ウィルキンソンが1/2人というのは、もうひとつの別のsectionと兼任だったという意)。後述するチューリング賞を1970年に受賞した際の受賞講演では、1967年の受賞者ウィルクスが「自分の後の受賞者にはチューリング本人を知る者はあらわれないかもしれない」とやはり講演で述べたことの反例となったと言及した上で、講演の半分ほどをチューリングについて述べた(ACEに関係することなどの他、よく知られているような計算理論ばかりではなく丸め誤差についての論文があることも指摘している)。
^Fox, L. (1987). “James Hardy Wilkinson. 27 September 1919-5 October 1986”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society33: 670–626. doi:10.1098/rsbm.1987.0024. JSTOR769967.
参考文献
James H. Wilkinson, Turing's Work at the National Physical Laboratory and the Construction of Pilot ACE, DEUCE and ACE (in Nicholas Metropolis, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, (editors), A History of Computing in the Twentieth Century, Academic Press, New York, 1980年)