クラウンピラードは日本の競走馬。1977年春秋の天皇賞で、それぞれ2着となるなどの成績を残した。半兄(異父兄)に1975年の宝塚記念優勝馬ナオキ(父サウンドトラック)がいる。
馬名について
馬名のクラウンは、母・エイトクラウンと同じトヨタ・クラウン[1]からで、ピラードは誕生翌年に登場した5代目クラウンに加わったピラード・ハードトップからである。馬主の桜山ホースはクラウンのディーラーである愛知トヨタ自動車の創業家が運営する団体で、現在は法人名を「名古屋友豊株式会社」としている。
略歴
1975年9月14日、デビュー戦で初勝利。7着敗退に終わった次走で骨にヒビが入り戦線離脱。翌1976年5月に復帰したが、条件戦で出走を続け9戦1勝という結果に終わる。
しかし、年明け早々に特別戦を連勝してオープンクラスに昇格すると、京都記念(春)でテンポイントの3着、中京記念でホースメンホープの2着、鳴尾記念でテンポイントの3着と重賞を好走。兄・ナオキが優勝できなかった天皇賞(春)を迎えた。当日は14頭立ての12番人気というものであったが、最後の直線で体勢を乱したテンポイントに4分の3馬身差まで追い込み2着となった。その後休養に入り、秋の復帰3戦を4、2、2着として、天皇賞(秋)に出走。3番人気に支持された。第3コーナーからのトウショウボーイとグリーングラスの競り合いに乗じ、クラウンピラードは最後の直線で本命2頭を内から交わした。しかし最後方待機策を採っていたホクトボーイが一気の追い込みを見せ、同馬に交わされての2着に終わった。
以降は精彩を欠き、重賞勝利のないまま、1979年の天皇賞(秋)で4番人気7着となったのを最後に引退となった。
引退後は種牡馬となったが、1992年に用途変更になってからの消息は不明である。
血統表
脚注
- ^ 但し、母と伯母・トヨタクラウンの時代はトヨペット・クラウンの名称であった。
外部リンク