『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』(ウイークエンドバラエティ ひだかごろうショー)は、STVラジオで1983年4月9日[3]から2018年4月7日まで放送していたラジオ番組。『日高晤郎ショー』、または『晤郎ショー』と略していた[4]。毎週土曜日の生放送で、放送時間はプロ野球オフシーズンは8時 - 17時。プロ野球シーズンは8時 - 13時50分、もしくは8時 - 12時50分[2]。
日高は1978年からSTVラジオの番組のパーソナリティを務め[5]、 1978年4月 - 1983年3月まで担当していた『おくさま広場』と1980年代前半に放送された『オハヨー!ほっかいどう』内の箱番組「朝から何ですが」が本番組のルーツ[6]。
番組開始当初(1983年4月)は12時から15時までの3時間の生ワイド番組としてスタート。アシスタントはなく日高一人での放送だった。
1984年4月より、9時から17時までの8時間に拡大[7]、8時間の生放送は全国初の試みだった[8]。
1987年4月11日からは8時から17時までの9時間放送となった。
2017年はプロ野球シーズンのみ5時間50分、もしくは4時間50分となった[9]。
初期は「こちら匿名!電話かけこみ寺」[6]や「晤郎の性教育」といったお色気話のコーナーが存在していた[10]。
通常放送はSTVラジオ 第1スタジオから公開生放送で行われ、見学者は直接スタジオ内に入って観覧する[11]。スタジオ内には約30席の雛壇が設置され無料で公開していた(土曜日が祝日と重なった場合や新年第1回、さっぽろ雪まつりが行われる2月初旬の週末、12月24~25日のSTVラジオ・チャリティー・ミュージックソンと重なる場合などはSTVホール・不定期に北海道各地からスタジオと同様に観覧は無料だが、事前申込が必要な特別観覧席が一部、設けられる公開生放送をすることがあり、放送終了後にミニライブを実施することがあった[1][5])。この時間帯の聴取率は道内第1位を堅持し、1990年1月の聴取率調査では12%を記録した[5]。STVラジオ低迷期も、この番組だけは安定した聴取率を保っていた。放送回数は2002年7月13日の放送で1000回、2012年2月11日で1500回を数えた。
「好き嫌いを常に明確にし、筋を通す」という性格が番組に大きく反映され、STVへ抜擢して以来の関係である番組プロデューサーの岩本芳修ら番組スタッフ、常連の観客、親交のある地方公共団体の首長など、いわゆる内輪ネタを日頃から全開にしていた。
時には生放送中にコーナーの流れを無視してでもアシスタントやリポーター、スタッフの進行上のミス、配慮・礼を失した発言や行動を叱責し、天気予報や交通情報などの時間に被ってしまうこともあった。時にはリスナーからの投稿ハガキの内容にも批判や批評を述べることがあった[1][5]。政治家や有名人、その時々の人気芸能人や出来事等に喜怒哀楽の判別なく、ひたすら容赦ない辛口のコメントも度々飛び出し、STV関係者や好意的な意見を送ってきたリスナー、スタジオおよびSTVホール観覧者、番組中のクイズコーナーに出演するリスナー、宣伝に来た道内自治体関係者やスポンサーでも例外ではなかった。
NHKから民放まで、あらゆるテレビ番組を視聴していたため、歌手や芸能人の芸や言動に詳しい。本番組配信当時は「最近のお笑い芸人は『つまらない』」などと批判することが多かった一方、皮肉交じりにモノマネをすることもあった[1][5]。
番組に届く自身に対する批判や非難については徹底的に反論するか、「たかが芸人の言うことにいちいち目くじらを立てる了見の狭さが実に情けない」「(自身がしばしば毒舌と云われることに対して)毒耳」などと一蹴し「これが私の『芸風』。イヤならどうか聴かないで下さい」などと斬り捨てるのが常であった[1][5]。
聴取者をリスナーではなく「お客様」と呼び、自身はパーソナリティでなく「芸人」と名乗っていた(番組をただ聞くだけで参加しない聴取者までも「リスナー」と解釈し、没個性で自分の意見を述べない司会者までが「パーソナリティ=個性」を名乗る、ラジオ界の現状に対する憤りの表れであり、自身が話芸を知る契機となったラジオに対する深い愛情を示している)。「『芸人』は目の前の客にとことん愛され、信頼されるべき」とも主張していた[1][5]。
1990年10月 - 1999年3月は日曜日の『奥山コーシンの日よういっぱい生ワイド』と合わせ、STVラジオでは土日に540分の生放送番組を編成していた[12][13]。
放送が休止となった例は1989年1月7日に昭和天皇が崩御した際に自粛のため観客を帰宅させ、新春STVホール公開生放送を休止したことが1度あるのみで、それ以外は放送を休んでいなかった。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生翌日の2011年3月12日は通常の番組進行を取り止め、CM無しで地震・津波情報に徹した[14]。
放送中のスタジオの様子はUSTREAMで生放送されている。但し、映像のみで音声は無く、一部のコーナーは放送上の都合で生放送されない。
日高は東京在住だったが、当番組の出演とその他の道内関係の仕事をするために死去の直前まで基本的には木曜日に北海道に赴いて金曜日に番組の打ち合わせをし、日曜日に帰京するというサイクル[注釈 1]で東京と北海道間を飛行機で毎週往復していた。札幌市内には「勉強部屋」と称する住居を所有していた[注釈 2]。
1990年代前半までは不定期に野球中継による短縮を実施していたが、のちに取り止めている。2017年4月改編でSTVラジオは新たにプロ野球シーズンで『STVファイターズLIVE』(土曜デーゲーム中継)にて北海道日本ハムファイターズの全試合中継を実施することになり、本番組は同中継を内包する『GO!GO!サタデー』に枠を譲る形で、13時50分までの5時間50分(350分)もしくは12時50分までの4時間50分(290分)に短縮された。
2017年9月23日は「秋分の日スペシャル in STVホール」として9時間放送、2017年10月7日からのプロ野球オフシーズンは9時間放送。この頃から日高は自身の体調変化や体調不良を番組内で匂わせていた。
2018年1月、番組内で検査入院することを明し、その結果を受けて1月22日に最初の手術を受ける。2月3日、入院・再手術のため欠席[15]。昭和天皇崩御による番組休止はあったが、日高本人の都合によるものは35年近く続く番組において、初めてのことであった。この日の代役は、吉川典雄(STVアナウンサー)と歌手の走裕介が担当した。2月10日、STVホールでの公開放送で番組に復帰。日高はその後、治療のための入退院を繰り返しながら、番組収録に臨んでいる。
同年3月24日の放送が生前最後の出演となった。日高は病が進行し、腹水が溜まり痩せ細った身体で前日3月23日に札幌市教育文化会館で開催された歌謡ショー『日高晤郎ショー特別公演 明日への贈り物 Part3.』の司会をこなし、この日の放送も途中点滴を受け、休憩を挟みながら、この日のゲストで『明日への贈り物』の出演者である走裕介、松原健之、こおり健太、パク・ジュニョン、岩本公水、戸川よし乃と共に9時間のパーソナリティーを務めた。終盤の「街の灯り」は日高に代わってゲスト歌手6人が合唱。2日後に再入院することをコメントしながらも、番組最後は「ありがとうございました。また来週!!」と大きく叫び、次回にはまた復帰する意思を示していた。
その翌週、3月31日も入院、治療のため欠席。吉川が再び代役を務めた。日高はその3日後の2018年4月3日に悪性腫瘍(脂肪肉腫)により死去[16][17]。番組で病名についての明言は一切無かったものの「10万人に3人」と、自らの病が「希少がん」である事について告知を受けている主旨のコメントをしている。
4月7日の当該時間帯は、吉川と残る2人で『日高晤郎追悼特番〜よく笑えた日は佳い一日だ〜』をSTVホールから公開生放送した[18]。この日は既にナイターシーズンに突入しているため、13時50分までの放送となった。この特番が放送されている時間帯は一部の時間帯にACジャパンとJAROのCMは放送したが、ニュース、天気予報、交通情報を挿入せず、追悼番組として放送。4月14日以降はタイトルの末尾に『フォーエバー』を付け加えた、『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー フォーエバー』として、吉川がパーソナリティを務めることを同追悼番組のエンディングで発表した[19][20][注釈 3]。なお、ラジオでの追悼番組の後を受け、実質的な第二部として同日15時30分 - 16時55分にはSTVテレビでも『追悼 日高晤郎さん 良く笑えた日は佳い一日だ』と題した追悼番組を放送。普段「日高晤郎ショー」を生放送していたSTVラジオ第1スタジオから、ラジオでの追悼番組に引き続いて担当した吉川にSTVアナウンサーの高山幸代が加わる形で進行し、STVに残る映像と音源で日高を偲んだ。そして、丁度普段の「日高晤郎ショー」エンディングの時間に合わせる形で番組も終盤に入り、追悼番組のエンディングとして生前の番組から日高の歌う「街の灯り」を無人の第1スタジオの映像を背景に放送した。
2019年2月、「STVラジオが今後進んでいく、5年後、10年後の新たな時代を見据えた場合、更に一歩、前に踏み出し、将来を切り開いていく必要がある」とした上で日高の一周忌を目前にした同年3月23日をもって「 - フォーエバー」を終了させ、「STVラジオはこの春、「日高晤郎ショー」から卒業する」と発表した。この発表は同16日の放送内で、吉川からリスナーに直接伝えられた[21]。こうして、1978年から続いた土曜の日高の番組は41年で終了した。
「 - フォーエバー」終了後、9時間の放送枠は分割されて、8時から13時には直接の後番組として木村洋二がパーソナリティの『ごきげんようじ』を、13時から17時は当初デーゲーム中継枠に充てていたが、2020年11月より明石英一郎がパーソナリティの『明石のいんでしょ大作戦!』をそれぞれ放送している。2022年10月改編より『いんでしょ大作戦!』は18時までの放送となり、両番組を合わせた生ワイド番組の放送時間は「日高晤郎ショー」を上回る10時間となる。
日高晤郎の没後4年にあたる2022年4月3日、開局60周年特別番組として「ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー フォーエバー2022」を放送した[22]。
2022年11月6日、11月13日にはサウンドプラントスペシャル枠で「声で紐解く ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー」を放送。本番組の生放送に用いられていた第1スタジオから観覧客を入れ[23]、吉川典雄をパーソナリティに据え生放送で進行し名コーナーの各種音源を振り返った。
2014年10月4日放送より、アシスタントなしでの放送
番組の進行上、放送時間が異なることがある。