アラン・ドゥコー (Alain Decaux、1925年 7月23日 - 2016年 3月27日 )はフランス の作家 、歴史学者 、劇作家 、脚本家 、ラジオ ・テレビ番組 制作者。歴史上の人物や事件を題材とする著書、半世紀近くにわたるラジオ・テレビの歴史 番組の制作・担当、ロベール・オッセン 監督の歴史映画 の脚本 や演劇 の台本 の執筆により、歴史の大衆化に貢献した。1979年 にアカデミー・フランセーズ の会員に選出され、1988年には、同年フランソワ・ミッテラン 政権の首相 に就任したミシェル・ロカール により、外務大臣 付フランコフォニー担当大臣 (フランス語版 ) に任命された。
邦訳にアカデミー・フランセーズのモンティオン賞 (フランス語版 ) を受賞した『ナポレオン の母 - レティツィア の生涯』、『パリのオッフェンバック - オペレッタの王』、『フランス女性の歴史』(全4巻)、『聖パウロ - 神から生まれた月足らずの子』などがある。
生涯
背景
アラン・ドゥコーは1925年7月23日、フランス北部、ベルギー との国境 のリール に生まれた。代々農業 を営んでいた家系である[ 1] 。父方の祖父は、ユサール・ノワール (フランス語版 ) (黒い軽騎兵、シャルル・ペギー の造語)、すなわち、第三共和政 下、ジュール・フェリー 法(公教育の義務化、無償化、非宗教化 )および政教分離法 の成立後に師範学校を卒業した小学校教員 で[ 2] [ 3] 、父は弁護士 であった[ 1] [ 4] 。
影響
アラン・ドゥコーの生家(リール市オテル・デ・カリアティード / Hôtel des Cariatides 、1975年に歴史的記念物 に指定)
イヴリーヌ県ル・ポール=マルリのモンテ・クリスト城(2016年に歴史的記念物に指定)
幼い頃から読書 が好きで、11歳のときに虫垂炎 で入院したときに祖父に贈られたアレクサンドル・デュマ の小説 『モンテ・クリスト伯 』を読んだのを機にデュマの作品を次々と読み耽り[ 1] 、さらに『物語フランス革命史』、『ナポレオン秘話』[ 5] など歴史上の出来事や特に秘話 などを物語風に描いた著書で知られる歴史学者・劇作家G・ルノートル (フランス語版 ) の作品に共感し、歴史学における彼の関心を方向づけることになった[ 1] 。次いでヴィクトル・ユーゴー 、オノレ・ド・バルザック などの19世紀の文豪の作品を耽読し、ユーゴーについては後に、ジュリエット・ドルエ との往復書簡22,000通の分析に基づく評伝『ヴィクトル・ユーゴー』を著し[ 4] 、ロベール・オッセン 監督がユーゴー作『レ・ミゼラブル 』(リノ・ヴァンチュラ 主演)を映画化した際には、脚本 を担当した(作品参照)。また、デュマについては、1954年から1982年までイヴリーヌ県 ル・ヴェジネ に住んでいたことから、隣接するル・ポール=マルリ (フランス語版 ) にデュマが建てたモンテ・クリスト城 (フランス語版 ) を保存するために結成されたアレクサンドル・デュマ友の会を支援し、アカデミー・フランセーズに働きかけた[ 6] 。
このほか、著書で扱っているフランス革命 から第二帝政 にかけての人物以外でドゥコーが深い関心を寄せた人物は、「彼の生涯について書くことは、19世紀の革命史をたどることだ」として評伝を著したルイ・オーギュスト・ブランキ [ 7] 、時代が求めていた教皇 だと評して演劇『恐れるなかれ』の台本を書いたヨハネ・パウロ2世 などである[ 8] 。
教育
地元リールのリセ・フェデルブ (フランス語版 ) に通ったが[ 9] 、1939年、14歳のときに第一次大戦 が勃発すると、ドイツ に近い北部を離れてブルターニュ 地方の親戚のもとに身を寄せた。まもなく司法官 としてパリ に赴任した父に呼び寄せられ[ 1] 、パリ 16区 のリセ・ジャンソン=ド=サイイ (フランス語版 ) に入学した[ 9] 。
法学者 であった父の希望に従ってパリ法科大学に進んだが、歴史への関心を深めたドゥコーは、学位 を取得しないままソルボンヌ大学 で歴史学 の講義 を受講し、やがて歴史雑誌に記事を掲載し始めた[ 4] [ 9] [ 10] 。
歴史劇への関心 - ギトリとの出会い
ドゥコーは当初、歴史劇 への関心から、サシャ・ギトリ を敬愛し、彼のような劇作家になりたいと思っていたが、満足のいくものは書けなかった[ 1] 。1944年8月23日、パリ解放 のさなか、対独協力 者に対する厳しい粛清 が行われていたとき、ギトリが対独協力の疑いで逮捕 された。戦時中も活動を続けたことで「政治意識や戦闘心が欠如している」という理由であったが、無罪釈放されたのは2月後のことであり[ 11] 、この間、ドゥコーは、ギトリの作品が略奪 されることのないよう、彼の自宅に押しかけて見張り役を務めた。ギトリは家を守ってくれたことに深く感謝してドゥコーの執筆の指導にあたり、以後、親交を深めることになった[ 1] [ 4] [ 7] 。一方で、最も関心を寄せていたルイ17世 に関する研究を進め、1947年に博士論文『ルイ17世再発見』を提出・刊行[ 4] 。2年後の24歳のときに発表したナポレオン の母レティツィア の評伝でアカデミー・フランセーズ のモンティオン賞 (フランス語版 ) を受賞した。これは、18 - 19世紀の慈善事業 家・経済学者 ジャン=バティスト・ド・モンティオン (フランス語版 ) によって創設され、道徳的価値の高い作品に与えられる賞である[ 12] 。
歴史番組の制作・担当
「歴史の討論」
こうした著書の刊行や雑誌への寄稿を通じて、ルイ16世 やマリー・アントワネット に関心が深く、歴史関連の記事を書いていたジャーナリスト 、アンドレ・カストロ (フランス語版 ) に出会い、意気投合した[ 4] 。二人は以後、数十年にわたってラジオ・テレビ番組を制作・担当することになる。最初は1951年に始まったパリ・アンテル(現フランス・アンテル (フランス語版 ) )のラジオ番組「歴史の討論 (フランス語版 ) 」であった。この番組は1997年まで半世紀近くにわたって続き、記録的な長寿番組となった[ 9] [ 13] 。
次に今度はフランス放送協会 (国営テレビ・ラジオ局)のモーリス・カズヌーヴ (フランス語版 ) からテレビの歴史番組に出演してほしいという依頼があった[ 14] 。フランスでテレビが普及し始めた頃のことで、ドゥコーは丁重に断ったが、夏の休暇 の間だけ、しかも夜の番組の最後に放映する15分の番組で、内容や進め方はすべて彼が決めるということで引き受けた[ 1] [ 14] 。この番組が好評を博したため、翌年の夏にも同じ番組を担当したところ、カズヌーヴに夏の休暇明けの9月から30分の番組を組みたいと提案された。当時、番組はすべて生放送 で、当然、プロンプター もなかった。煙草 を吸ったことのないドゥコーが煙草を吸うほどに緊張していたという[ 14] 。最初は自分で撮影した動画 を使うことを提案したが、自分で操作すると逆に混乱して茫然自失のまま番組を終えた。評論家に番組を評価されたものの、混乱ぶりを指摘されたため、以後はスライド を映すだけで、語りに専念した。これで「地味なスーツ を着て、鼈甲 の眼鏡 をかけた歴史学者がカメラ に向かってひたすら語る」という番組のスタイルが決まった[ 1] [ 14] 。
「歴史の謎 (フランス語版 ) 」と題するこの番組は、ドゥコー、カステロ、および舞台監督 としても知られるステリオ・ロランジ (フランス語版 ) が共同で制作し、1年ほどの間に11話放映された。この後、1957年に番組名を「カメラが時代を探査する (フランス語版 ) 」に変更、時間も1時間に延長して1966年までの間に39話放映された。いずれも好評で、トピックによっては記録的な視聴率 となった[ 4] 。
国営放送 のみであった当時にあって、番組の存続にとって重要なのは視聴率より国の政策 であった。ロランジは共産党 員であり、冷戦 のさなかに共産党員が番組制作に関わることを快く思わなかったド・ゴール 政権下の官僚は、「カメラが時代を探査する」の廃止を決定した[ 4] 。
「アラン・ドゥコーが語る」
新番組「アラン・ドゥコーが語る (フランス語版 ) 」として再開されたのは、ド・ゴール辞任後の1969年7月10日のことである[ 14] 。番組名は1981年に「話題の歴史」、1985年に「アラン・ドゥコーの記録」、1987年に「歴史に向かうアラン・ドゥコー」に変更され、また、プライムタイム に放映されて高い視聴率を維持したものの、他社との競合 から、プライムタイムに映画や娯楽番組 を放送することになると、夜の第2部、22時からに変更されたが[ 14] 、上述の番組廃止によるブランクを除いて、ドゥコーはテレビの歴史番組を通算35年間、ラジオの歴史番組を46年間担当した[ 9] 。好評を博した理由の一つは、歴史の教科書 に書かれているような出来事や大学 の講義で扱うような専門的な内容ではなく、たとえば、ルイ17世 、ジェヴォーダンの獣 、メデューズ号の筏 、連続殺人犯 アンリ・デジレ・ランドリュー 、モンテ・クリスト島 の謎、カリオストロ (詐欺師、フリーメイソン )の謎、ムッソリーニ 政権と1924年のジャコモ・マッテオッティ書記長の暗殺、キケロ 事件(第二次大戦中のドイツのためのスパイ 行為)、サッコ・ヴァンゼッティ事件 (冤罪 事件)、長いナイフの夜 (国家社会主義ドイツ労働者党 による突撃隊 などに対する粛清 事件)、ルーダンの悪魔憑き事件(Affaire des démons de Loudun )、トロツキー の死、スタヴィスキー事件 (第三共和政 を危機に陥れた疑獄事件)、アラモの戦い (テキサス革命 )、国家主義 者による社会主義 者ジャン・ジョレス の暗殺、バウンティ号の反乱 、戦艦ポチョムキンの反乱 、切り裂きジャック 、ミュンヘン一揆 (1923年)、カティンの森事件 、鉄仮面 、エルヴィン・ロンメル の最期、アンリ4世 の暗殺 といった特殊な人物や謎めいた事件を取り上げたことである[ 1] [ 14] 。
ドゥコーは、プロンプターなしの生放送ということもあって、かなりの時間をかけて調査し、練習し、暗記した。「日本のいちばん長い日 」と題して1945年の広島市への原子爆弾投下 から日本の降伏 までの経緯を説明したときには、日本人の名前を50近く暗記しなければならず、フランス人のドゥコーにとってはたやすいことではなかった[ 14] 。
また、歴史的事件を物語風に生き生きと語る、臨場感あふれる語りや演技力も視聴者 を惹きつけた[ 14] 。作家のフランソワ・モーリアック は、「何もかも知り尽くした上で語りながら、しかも昔話 のような語り口で語る」彼を「比類なき語り手 」と絶賛した[ 1] 。
ドゥコーは半世紀近くにわたってテレビ・ラジオ番組、著書(および録音版)、新聞 ・雑誌 への寄稿、さらに1960年には自ら歴史雑誌『みんなのための歴史(L'Histoire pour tous )』(月刊)を創刊するなどして[ 8] [ 15] 、歴史の大衆化に貢献した[ 4] [ 2] 。アナール学派 の歴史学者ピエール・ノラ は、彼が1980年に創刊した『ル・デバ (フランス語版 ) 』誌で、歴史学が社会・経済構造にのみ関わる歴史の研究だけでなくミクロな歴史、彼が提唱した「新しい歴史学」への関心が高まるなか、ドゥコーが対象としてきた歴史上の特殊な人物や逸話、すなわち、これまで周辺に押しやられていた事象が、専門研究においても取り上げられるようになったと指摘した[ 4] 。
演劇、歴史教育の推進
1970年代以降、俳優 ・映画監督のロベール・オッセン からの依頼で、歴史劇や歴史映画の台本・映画の脚本を書いた。『ダントン とロベスピエール 』、『私の名前はマリー・アントワネット だった』、『彼はボナパルト だった』、『ベン・ハー 』など、いずれも壮大な演劇で、スタッド・ド・フランス で上演された[ 1] [ 4] 。
1979年2月15日にアカデミー・フランセーズの会員に選出された。席次9、ジャン・ゲーノ の後任である。佩剣には故郷フランドル の旗やフランドル伯 の紋章 に描かれるライオン が彫られ[ 9] 、かつて恩師サシャ・ギトリが指輪 に使っていたエメラルド が象嵌 されている[ 16] [ 17] 。
歴史の大衆化に貢献したドゥコーは、歴史教育 の推進においても重要な役割を果たした。1979年、ジスカール・デスタン 政権下、第三次レイモン・バール 内閣が初等教育 の学習指導要領の改訂にあたってフランス史の授業を廃止すると発表すると、同年10月20日付の『フィガロ・マガジン (フランス語版 ) 』に「フランス人よ、もうあなたがたの子どもたちは歴史を教えてもらえなくなる」と題する挑発的な記事を掲載し、さらに彼が編集委員を務めていた歴史雑誌『イストリア (フランス語版 ) 』の第400号でも特集を組み、大論争を巻き起こした[ 18] [ 19] 。彼は同誌で、クリスチャン・ブラク (フランス語版 ) 国民教育相 に対して、「(あなたにとっては)ワーテルローの戦い からアウステルリッツの戦い が生じたということになる」と激しく批判した[ 19] 。これを受けて、カトリック 系の新聞『ラ・ヴィー (フランス語版 ) (生命)』も「フランスよ、お前の歴史がとんずら する」と表紙に大きく書いた号を刊行[ 19] 。他の新聞も同様であり、歴史・地理教員協会(Association des Professeurs d’Histoire et de Géographie)が反対運動を展開した[ 7] 。大論争の末、ようやくフランス史の授業が再開されることになり、ドゥコーはこれ以後も、2011年にもリセ の最終学年における歴史の授業の廃止が審議されているときに、これに反対する歴史・地理教員協会の請願書に署名するなど、現場の歴史教員の活動を積極的に支持した[ 7] 。
官僚
1988年、フランソワ・ミッテラン 政権の首相 に就任したミシェル・ロカール により、外務大臣 付フランコフォニー担当大臣 (フランス語版 ) に任命された。決断しかねて同じアカデミー・フランセーズ会員でピエール・メスメル 内閣(ジョルジュ・ポンピドゥー 政権)の文化大臣 を務めた歴史小説家モーリス・ドリュオン に相談したところ、「国に仕えるよう要求されたのだから、逃れることはできない」と冗談交じりで励まされた[ 1] 。社会党 政権だが、ドゥコー自身は「ヴィクトル・ユーゴー的な左派」を自称していた[ 7] [ 20] 。任期は1991年までの3年間であったが、このほか、外務省のフランス芸術活動協会 (フランス語版 ) の会長、国外フランス・テレビ政策の調整役、シャンティイ 領管理者団体(Collège des conservateurs du domaine de Chantilly)の会長、劇作家・作曲家協会 (フランス語版 ) の会長などを歴任した[ 9] [ 15] 。
死去
ペール・ラシェーズ墓地のドゥコー家の墓
2016年3月27日、パリ15区 のジョルジュ・ポンピドゥー欧州病院 (フランス語版 ) にて死去、享年90歳[ 8] [ 10] 。4月4日にオテル・デ・ザンヴァリッド (廃兵院)でフランソワ・オランド 大統領 主宰のもと、国家追悼式が執り行われ[ 21] 、最後にペール・ラシェーズ墓地 でアカデミー会員・歴史学者のピエール・ノラにより追悼の辞が捧げられた後、埋葬された[ 22] 。彼のアカデミー・フランセーズ会員の制服と佩剣は故郷リール市の女伯救済院博物館(Musée de l'Hospice Comtesse 、フランドル女伯 ジャンヌ・ド・コンスタンティノープル の命によって建造された女伯救済院(Hospice Comtesse )を博物館 として保存)に寄贈された[ 9] [ 17] 。
受賞・栄誉
作品
1947年、Louis XVII retrouvé (ルイ17世再発見)(Librairie académique Perrin)
1949年、Létizia. Napoléon et sa mère (Librairie académique Perrin)
『ナポレオンの母 - レティツィアの生涯 』小宮正弘訳、時事通信社 、1988年
1951年、La Tribune de l’Histoire (歴史の討論)- アンドレ・カストロ、ジャン=クロード・コラン=シマール、ジャン=フランソワ・シアップ共同制作(ラジオ番組)
1952年、La Médaille militaire (軍功勲章)(Librairie académique Perrin)
1952年、La Conspiration du général Malet (クロード=フランソワ・ド・マレ (フランス語版 ) 将軍の陰謀)(Librairie académique Perrin)
1953年、La Castiglione, d’après sa correspondance et son journal inédits (未刊行の書簡・日記によるラ・カスティリオーヌ )(Librairie académique Perrin)
1954年、De l'Atlantide à Mayerling (アトランティス からマイヤーリング まで)(Librairie académique Perrin)
1954年、La Belle Histoire de Versailles (ヴェルサイユ全盛期)(Librairie académique Perrin)
1956年、Énigmes de l'Histoire (歴史の謎)- ステリオ・ロランジ、アンドレ・カストロ共同制作(テレビ番組)
1957年、La caméra explore le temps (カメラが時代を探査する)- ステリオ・ロランジ、アンドレ・カストロ共同制作(テレビ番組)
1957年、Cet autre Aiglon, le Prince impérial (エグロン - 帝国 の皇太子 )(Librairie académique Perrin)
1958年、L'Empire, l'amour et l'argent (帝国 - 愛と金)(Librairie académique Perrin)
1958年、Offenbach, roi du Second Empire (Librairie académique Perrin)
1960年、L'Énigme Anastasia - enquête (アナスタシア という謎 - 調査)(Librairie académique Perrin)
1961年、Les Grandes Heures des châteaux de France (フランス城の全盛期)- ジャン=フランソワ・シアップ共同制作(ラジオ番組)
1962年、Climats - d'après André Maurois (うつろひ / 愛の風土 - クリマ - アンドレ・モーロワ 原作)- ステリオ・ロランジ監督映画(脚本)
1962年、Secrets d'État (国家機密)- アンドレ・カストロ、ジャン=フランソワ・シアップ共同制作(ラジオ番組)
1963年、La Révolution française (フランス革命)(Grand prix du disque、録音)
1964年、Napoléon (ナポレオン)(Grand prix du disque、録音)
1964年、Grands Mystères du passé (過去の大きな謎)(Librairie académique Perrin)
1964年、Les Heures brillantes de la Côte d'Azur (コート・ダジュールの輝かしい時代)(Librairie académique Perrin)
1966年、Dossiers secrets de l'Histoire (歴史の機密文書)(Librairie académique Perrin)
1966年、Grands secrets, grandes énigmes (大きな秘密、大きな謎)(Librairie académique Perrin)
1967年、J'ai tué Raspoutine (私はラスプーチン を殺した)- ロベール・オッセン監督共同制作(脚本)
1967年、Nouveaux Dossiers secrets (新機密文書)(Librairie académique Perrin)
1968年、Les Rosenberg ne doivent pas mourir (ローゼンバーグ夫妻 は死ぬべきではなかった)(Librairie académique Perrin)
1968年、Grandes Aventures de l'Histoire (歴史の大冒険)(Librairie académique Perrin)
1969年、Le Livre de la famille impériale (皇室の書)- アンドレ・カストロ、マリー=ピエール・ケーニグ 共著 (Librairie académique Perrin)
1969年、Alain Decaux raconte (アラン・ドゥコーが語る)- テレビ番組
1971年、La Belle Histoire des marchands de Paris (パリ商人の全盛期)(Librairie académique Perrin)
1972年、Histoire des Françaises (全2巻)(Librairie académique Perrin)
『フランス女性の歴史 1 - ルイ14世治下の女たち』川田靖子 訳、大修館書店 、1980年
『フランス女性の歴史 2 - 君臨する女たち』柳谷巖訳、大修館書店、1980年
『フランス女性の歴史 3 - 革命下の女たち』渡辺高明訳、大修館書店、1980年
『フランス女性の歴史 4 - 目覚める女たち』山方達雄訳、大修館書店、1981年
1975年、Le Cuirassé Potemkine (戦艦ポチョムキン )- ジョルジュ・ソリア (フランス語版 ) 、ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
1975年、Histoire des Françaises (フランス女性の歴史)- ラジオ番組
1976年、Blanqui l'Insurgé (叛徒ブランキ )(Librairie académique Perrin)
1976年、Histoire de la France et des Français au jour le jour (フランス・フランス人の日々の歴史)全8巻、アンドレ・カストロ、ジャック・ルヴロン(Jacques Levron)、マルセル・ジュリアン (フランス語版 ) 共著 (Librairie académique Perrin)
1977年、Les Face à Face de l'Histoire (歴史に向き合って)(Librairie académique Perrin)
1978年、Alain Decaux raconte (アラン・ドゥコーが語る)(Librairie académique Perrin)
1978年、Notre-Dame de Paris (ノートルダム・ド・パリ )- ロベール・オッセン、ジョルジュ・ソリア共同制作(演劇台本)
1979年、Alain Decaux raconte (アラン・ドゥコーが語る)第II巻 (Librairie académique Perrin)
1979年、Danton et Robespierre (ダントン とロベスピエール )- ロベール・オッセン、ジョルジュ・ソリア、ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
1980年、Alain Decaux raconte (アラン・ドゥコーが語る)第III巻 (Librairie académique Perrin)
1981年、Alain Decaux raconte (アラン・ドゥコーが語る)第IV巻 (Librairie académique Perrin)
1981年、L'Histoire en question (話題の歴史)- テレビ番組
1982年、Les Misérables - d’après Victor Hugo (レ・ミゼラブル - ヴィクトル・ユーゴー原作)- ロベール・オッセン監督共同制作(リノ・ヴァンチュラ 主演、映画脚本)
1982年、L'Histoire en question (話題の歴史)(Librairie académique Perrin)
1983年、Un homme nommé Jésus (イエス という名の男)
1983年、L'Histoire en question (話題の歴史)第II巻 (Librairie académique Perrin)
1984年、Victor Hugo (ヴィクトル・ユーゴー) (Librairie académique Perrin)
1985年、Victor Hugo (ヴィクトル・ユーゴー)- 録音
1985年、Le dossier d'Alain Decaux (アラン・ドゥコーの記録)- テレビ番組
1986年、Les Assassins (暗殺者)(Librairie académique Perrin)
1987年、Alain Decaux raconte l’Histoire de France aux enfants (アラン・ドゥコーが子どもたちに語るフランスの歴史)(Librairie académique Perrin)
1987年、Destins fabuleux (驚くべき運命)(Librairie académique Perrin)
1987年、L’Affaire du courrier de Lyon (リヨン郵便馬車事件 (フランス語版 ) )- ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
1987年、Alain Decaux face à l’histoire (歴史に向かうアラン・ドゥコー)(テレビ番組)
1988年、Alain Decaux raconte la Révolution française aux enfants (アラン・ドゥコーが子どもたちに語るフランス革命)(Librairie académique Perrin)
1988年、La Liberté ou la mort (自由か死か)- ステリオ・ロランジ、ジョルジュ・ソリア共同制作(演劇台本)
1991年、Alain Decaux raconte Jésus aux enfants (アラン・ドゥコーが子どもたちに語るイエス)(Librairie académique Perrin)
1991年、Jésus était son nom (イエスは彼の名前だった)- 演劇台本
1992年、Le Tapis rouge (赤い絨毯 )(Librairie académique Perrin) - 外務省での経験を語る[ 8] 。
1993年、Mille neuf cent quarante-quatre (1944年)(Librairie académique Perrin)
1993年、Histoires extraordinaires (信じられないような歴史)(Librairie académique Perrin)
1993年、Je m’appelais Marie-Antoinette (私の名前はマリー・アントワネット だった)- アンドレ・カストロ、ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
1994年、Alain Decaux raconte le débarquement et la Libération (アラン・ドゥコーが語るノルマンディー上陸作戦 とパリ解放 )- テレビ番組
1994年、Nouvelles Histoires extraordinaires (新・信じられないような歴史)(Librairie académique Perrin)
1995年、L’Abdication (退位)(Librairie académique Perrin)
1996年、C’était le XXe siècle (20世紀のことだった)(Librairie académique Perrin)
1996年、Alain Decaux raconte la Bible aux enfants (アラン・ドゥコーが子どもたちに語る聖書 )(Librairie académique Perrin)
1997年、C’était le XXe siècle : La course à l’abîme (20世紀のことだった - 奈落への道)(Librairie académique Perrin)
1997年、Monaco et ses princes (モナコとモナコ公)(Librairie académique Perrin)
1998年、C’était le XXe siècle : La guerre absolue (20世紀のことだった - 無条件戦争)(Librairie académique Perrin)
1999年、C’était le XXe siècle : De Staline à Kennedy (20世紀のことだった - スターリン からケネディ へ)(Librairie académique Perrin)
1999年、De gaulle, celui qui a dit non (ノンと言ったド・ゴール)- アラン・ペールフィット (フランス語版 ) 共同制作(演劇台本)
2000年、Morts pour Vichy (ヴィシー のために死んだ人々)(Librairie académique Perrin)
2002年、C’était Bonaparte (彼はボナパルト だった)- ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
2002年、L’Avorton de Dieu. Une vie de saint Paul (Perrin)
『聖パウロ - 神から生まれた月足らずの子 』奈須瑛子訳、女子パウロ会 、2006年
2005年、Tous les personnages sont vrais (人物はすべて実在の人物)(Perrin)
2006年、Ben Hur (ベン・ハー )- ロベール・オッセン監督共同制作(演劇台本)
2007年、La Révolution de la croix. Néron et les chrétiens (十字架の革命 - ネロ とキリスト教徒)(Perrin)
2007年、N’ayez pas peur ! - Jean-Paul II (恐れるなかれ - ヨハネ・パウロ2世)- 演劇台本
2008年、Coup d’État à l’Élysée (エリゼ宮 のクーデター )(Perrin)
2010年、Dictionnaire amoureux d’Alexandre Dumas (アレクサンドル・デュマの愛の辞典)(Plon)
2011年、Victor Hugo (ヴィクトル・ユーゴー) (Librairie académique Perrin) - 著書新版
脚注
関連項目
外部リンク