1955年12月の決定に基づいてコンピュータおよび周辺機器の開発はUNIVACに発注され、1958年3月にはAN/USQ-17(英語版)コンピュータの初号機がNELの試験場に設置された[7]。1959年4月にはNELのASDEC(Applied Systems Developent and Evaluation Center)において技術試験用機材の設置が完了し、陸上試験が開始された[8]。空母「オリスカニー」およびミサイル・フリゲート(DLG)「キング」、「マハン」の3隻が試験艦となり[9]、1961年10月より洋上での試験が開始された[10]。これ以前にはデジタル化システムがアメリカ海軍艦船に搭載されたことはなく、艤装からして新しい挑戦となった[9]。従来の電子機器とは全く異なる装備であるために維持管理の困難さがあり、またソフトウェアの複雑さもあってプログラムのエラーは頻発したが、機材そのものの信頼性は高かった[10]。
NTDSは、一義的には戦術レベルで目標情報を管理するシステム(tactical picture-keeping system)である[11]。NTDSそれ自体の他にも、チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦向けにはJPTDS(Junior Participating Tactical Data System)、オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート向けにはJTDS(Junior Tactical Data System)と、それぞれダウンサイジングした派生型も開発された[11]。後にこれらの戦術情報処理装置はCDS(combat direction system)と総称されるようになった[11]。
NTDSのソフトウェアは、当初は明確なバージョン管理は行っていなかったが、運用試験の際のソフトウェアが後にモデル0、また1962年から艦隊配備を開始した際のソフトウェアがモデル1と称されるようになった[18]。これは様々なアプリケーションをモジュールとして組み込んでおり、例えば最大のモジュールであるTEWA(Threat evaluation and weapon assignment)は約10,500ワードのメモリ容量を使用した[18]。その後、1966年にはモデル3、1976年にはモデル4、1986年にはモデル4.1と、順次にバージョンアップされていった[19]。
モデル4は、CP-642シリーズおよびAN/UYK-7コンピュータでの実行に対応している[11]。これに対し、モデル4.1はAN/UYK-43コンピュータで実行できるように再構築したもので、当初はRNTDS(restructured NTDS)と称されていたが、上記の通り、後にはACDSのブロック0と位置づけられるようになった[11]。ACDSブロック0以降では、データリンク機能をC2P(Command & Control Processor)に移管できるようになった[11]。そしてモデル5.0は、ACDSブロック1以降のためのソフトウェアとなった[11]。ACDSブロック1では、従来のNTDSと比して追尾能力は8倍、探知距離は4倍になることを目指したとされる[20]。